1992年10月3日、アメリカの人気番組「サタデー・ナイト・ライブ」で、1つのパフォーマンスがスタジオ内を凍りつかせた。
それはアイルランド出身の女性シンガー、シネイド・オコナーが歌い終わった時だった。
なんとローマ教皇の写真をカメラの前に掲げて、ビリビリと破り捨てたのだ。そして、こんな言葉を言い放った。
「Fight The Real Enemy(真の敵と戦いなさい)」
スタジオには観客もいたが、拍手もブーイングもなく、ただただ静まり返っていた。
この模様は生中継で全米に放送されると、テレビ局に講義の電話が殺到、多くのキリスト教徒が彼女を非難することになる。しかし、彼女が捨て身ともいえるパフォーマンスで抗議をしたのには、理由があった。
1966年にアイルランドの首都、ダブリンで生まれたシネイドは、8歳の頃に両親が離婚して母親に引き取られた。だが、そこで待っていたのは、母親による虐待の日々だった。
その後は父親に引き取られるも、今度は非行を繰り返してローマ・カトリックの厳格な更生施設、マグダレン修道院に送られてしまう。
しかし、更生施設とは名ばかりで、マグダレン修道院は過酷な重労働、囚人同様かそれ以下の非道な扱い、聖職者による暴力や性的虐待など、人権を無視した行為がまかり通る、この世の悪夢とも言うべき場所だった。
にもかかわらず、修道院という宗教的な閉鎖空間のせいで、それらが世間の明るみに出ることはなかった。彼女にとって虐待行為とそれを隠し続けるローマ・カトリックの体質は、何よりも許せないものとなる。
シネイドが番組へ出演することが決まった頃、アメリカでは聖職者から虐待を受けた被害者の1人が名乗り出て、大きな話題となっていた。これをきっかけに、彼女は自ら戦うことを決意する。
番組でシネイドが歌ったのは「War(ウォー)」、ボブ・マーリィが書いた人権平等を訴える楽曲で、虐待を受ける子供たちの人権を主張するにはふさわしいと思われた。写真を破る前にア・カペラで歌った歌詞はこうだった。
私たちは勝利を確信している
善が悪に勝つのを
善が悪に勝つ
リハーサルでは子供の写真をカメラに見せて歌っていたから、本番でローマ教皇の写真を破るというパフォーマンスは、スタッフにとっても想定外だった。
生放送でローマ教皇の写真を破るという手段が正しかったかどうかはともかく、聖職者による性的虐待という問題に、世間の関心を集めるという点においては成功したといえる。
しかし、2週間後の10月16日。マジソン・スクエア・ガーデンで行われたボブ・ディラン30周年ライブに出演したシネイドは、未だかつてないほどの激しいブーイングと対峙することになる。
彼女の戦いは、まだ始まったばかりだった。
後編に続きます
(このコラムは2014年6月24日に公開されました)
Sinéad O’Connor / War
「I Do Not Want What I Haven’t Got」
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