1987年7月、グレイトフル・デッドとのツアーの中で歌い方を変え、力を取り戻したディラン。
(詳細はこちら【TAP the LIVE】ボブ・ディラン~年配のジャズ・シンガーから受け取った天啓)
再びトム・ペティとのツアーが始まり、以前よりも満足のいくパフォーマンスができるようになったが、それでも引退しようという気持ちに変わりはなかった。
ペティとのコンサートでも観客が射撃訓練場の人型の的に見えたことがある――自分とのつながりを感じることができず、無作為に選んだ人間たちとしか思えなかったのだ。もううんざりだった――蜃気楼のなかで生きるのはいやだった。断ち切るときだった。引退は苦痛ではなかった。(「ボブ・ディラン自伝」より)
10月5日、そんな気持ちとともに迎えたスイスはロカルノでのコンサートで事件は起きた。ディランが歌おうとしたら、どういうわけか息が苦しくなって上手く声が出なかったのだ。
新しい歌い方に慣れていなかったからか、あるいはその歌い方自体に欠陥があったのか。3万人の客席の前で一瞬パニックに陥ったディランだが、咄嗟に別の歌い方を思いついて試みたという。
そのときその場で変身が起こったことに、だれも気づいていなかった。いまや、百ヶ所ものまったく思いがけない場所から、エネルギーが湧きだしていた。わたしは新たな能力を手にし、その能力は、人間としてのほかの要件の何をも凌ぐように思えた。(「ボブ・ディラン自伝」より)
新たな歌い方によって生まれ変わったディランは、翌1988年から引退を決めていたとは思えないほど勢力的な活動をみせる。
ジョージ・ハリスン、ロイ・オービソン、ジェフ・リン、トム・ペティの5人で覆面バンド、トラヴェリング・ウィルベリーズを結成し、1stアルバム『Traveling Wilburys Vol. 1』はグラミー賞を受賞した。
一方では、新たなツアーをスタートさせた。
それは、今までの名声に頼ることなく、小さなホールで繰り返し演奏することで少しずつ新たなファンを増やしていくという、新人アーティストのようなコンセプトだった。
スイスで編み出した新しい歌い方を完成させるためにも、そのツアーは長い年月をかける必要があった。「ネバー・エンディング・ツアー」と名付けられたそのツアーは、ディランのライフワークとなって今現在も続けられている。
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