100年以上前に書かれたアメリカの童話、「オズの魔法使い」。
オズの国へと迷いこんだ少女ドロシーが、元の世界へと帰るためにカカシ、ブリキの木こり、ライオンとともに旅をするこの物語は、ミュージカルや映画をはじめとして様々なメディアに展開され、今なお世界中の子どもたちに愛されている 。
その「オズの魔法使い」を題材にしたチャリティー・コンサートが、ニューヨークのリンカーン・センターで催されたのは1995年の11月のことだった。
主人公のドロシーは、デビュー・アルバム『Pieces of You』が大ヒットとなった21歳の新人シンガー・ソングライターのジュエル、ブリキの木こりにはザ・フーのロジャー・ダルトリーが扮した。そして、カカシ役に選ばれたのがジャクソン・ブラウンだった。
1972年にアルバム・デビューを果たしたシンガー・ソングライター、ジャクソン・ブラウンは、類まれなソングライティングのセンスと、実体験に基づいたパーソナルな内容の詩が、同世代を中心として多くの人たちの共感を呼び、次々とアルバムをヒットさせてきた。
しかし、1986年にリリースした8枚目のアルバム『Live In The Balance』で、ジャクソンは大きく方向転換する。それまでのパーソナルな歌は数曲にとどまり、アルバムの半分以上が、アメリカ政府への非難をテーマとしたものだった。
「内面的な事柄についてそんなに話したいと思わなくなった。年をとってきたせいで、世の中のことにいっそう関心が向くようになったんだ」
ジャクソンはアメリカが抱える様々な問題を伝えようと、メディアにも積極的に出て政治の話をしたが、この方向転換はそれまでのファンを困惑させただけだった。
続く7枚目のアルバム『World In Motion』ではねさらにプロテスト・ソングの色が強くなり、結果としてジャクソンのアルバムの中では最も売れない1枚となってしまった。
1992年の9月、数字の上では明らかに低迷していたジャクソンに、さらなる追い打ちとなる事件が起きた。当時、交際していた女優のダリル・ハンナが、ジャクソン・ブラウンに顔を殴られたという情報が、マスコミによって報道されたのだ。
このニュースは連日メディアを賑わせ、それまでジャクソンが築いてきたキャリアやイメージに、大きなひびを入れる事態となった。
(のちにジャクソンは暴力を振るったことを否定しており、一部メディアものちに誤報だったとして謝罪している)
ジャクソンはこの事件に対するコメントを出さないかわりに、新作アルバム『I’m Alive』で、彼女への想いを歌った。
政治から離れて、再び自身の内面的な事柄について歌ったこのアルバムは、1993年10月にリリースされると<
音楽メディア各紙で「ジャクソン・ブラウンが戻ってきた」と称賛され、ファンからも歓迎された。
「オズの魔法使い・イン・コンサート」に出演したのは、ジャクソンが低迷した時代を乗り越え、再び軌道に乗った頃のことだった。
麦わら帽子にオーバーオールという出で立ちでカカシになりきり、それまでジャクソンが歌ってきた失恋や政治とはかけ離れた、童話の世界で純粋に歌うことを楽しみ、最後はキャスト全員でスタンダードの「Over the Rainbow」(「虹の彼方に」)を歌った。
この日、ジャクソンがソロで歌った「If I Only Had A Brain」(「もしも知恵があったなら」)は、カカシの歌だ。カカシは脳がないから自分は頭が悪いと思い込んでいる。
僕はただの空っぽじゃないのさ
頭にものが詰まっているし
心は苦しみに満ちているんだ
踊れば楽しいし人生は素晴らしいのさ
僕に脳さえあれば
ジャクソンは人生について、「どんな状況にあろうと、人の人生には歌にする価値があると思うよ」と語っているが、この日はカカシの人生における苦悩を1人のシンガーとして見事に歌い上げてみせた。
「I’m Alive」
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