街の暗闇と
煌々たる灯りに満ちた家々の狭間で
我が心の静けさと
忍び寄る夜の咆哮の狭間で
誰かが誰かの名を呼び
誰かが街角から姿を消し
誰かが誰かを探すのだ
この夜のどこかで
「1970年代の最も完成された作詞家」とも言われるジャクソン・ブラウンが、1983年に発表したアルバム『愛の使者』(LAWYERS IN LOVE)に収められている「テンダー・イズ・ザ・ナイト」は、そんな歌詞で始まる。
彷徨い続ける魂。それは、ジャクソン・ブラウンにいつも付きまとうイメージだ。彼のそんなイメージを決定づけたのは、おそらくあの出来事だろう。
1976年、彼の最高傑作とされるアルバム『レイト・フォー・ザ・スカイ』に続く新作、『プリテンダー』をレコーディングしている時のことだ。妻、フィリスから連絡が入る。
「私、自殺する……」
またか、とジャクソンは思ったのだろう。コンサート・ツアー、レコーディングと、彼は忙しい日々を過ごしていた。だが、フィリスはジャクソンに愛を求めた。そして、それ以前にも狂言自殺をしたことがあった。
今回もまた……それはフィリスも同じ思いだったのかも知れない。だが、フィリスが服用した薬の量は、彼女を違う世界へと連れ去ることとなる。そしてジャクソン・ブラウンは、妻を強く抱き締められなかった男となった。
夜はやさし
恋人を強く抱き締めるとき
その仕草はやさし
夜はやさし
ジャクソンがそう歌う時、聴く者が絶望的な思いにさせられるのは、ジャクソンの歌の主人公が、空虚を抱き締めているように感じてしまうからだ。
ところで、「テンダー・イズ・ザ・ナイト(夜はやさし)」というタイトルで小説を書いた作家がいた。1896年に生まれ、1920年代、ジャズ・エイジの寵児ともてはやされたF・スコット・フィッツジェラルドである。
「華麗なるギャツビー」を大ヒットさせ、絶世の美女ゼルダを妻としたフィッツジェラルドだが、狂乱のバブルが弾け、1930年代に入ると、不幸の溝にはまり込む。ゼルダは精神的に病み、父はこの世を去るのだ。
そんなフィッツジェラルドが独り、心血を注いで書き上げた長編小説のタイトルが「夜はやさし(テンダー・イズ・ザ・ナイト)」である。フィッツジェラルドは、敬愛する英国詩人ジョン・キーツの代表作の一節から、このタイトルをつけている。
すでにして汝とともに!
夜はやさし
されどここに光なし
これは、ジョン・キーツの「ナイチンゲールに寄す」という詩だ。この詩の冒頭部分が持つ悲しさが、キーツとフィッツジェラルドとジャクソン・ブラウンを結んでいる。
我が心は痛み 感覚はおぼろげに痺れゆく
毒人参を煽ったように
いくばくかの阿片を飲み干し
忘却の川に沈んでいくように
だが、ジャクソン・ブラウンにこの歌を書かせたのは、ギタリストのダニー・コーチマーとドラマーのラス・カンケルのふたりだった。
ある日、彼らはアパートの部屋でアイディア出しをしていた。そして、ドゥ・ワップによく登場する歌詞である
「when you hold your baby tight」(恋人を強く抱き締めるとき)と
「tender is the night」(夜はやさし)が、不思議な韻を踏むことに気づいたのである。
「聖なる世界と世俗的世界の両極端っていうのかな。面白いと思ったんだ」と、ダニー・コーチマーは語っている。「そして、ジャクソンならきっと素晴らしい曲に仕上げてくれるってね」
19世紀の詩人と20世紀の小説家のロマンティシズムは、ポップスという形に昇華されることとなったのである。
(このコラムは2015年1月8日に公開されたものです)
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