ペンシルバニア州を流れるサスクエハナ川に浮かぶ小さな島、スリーマイル島の原子力発電所が事故を起こしたのは1979年3月28日。
最悪とされる事態に陥る前に事故は収束したものの、多くの人たちに安全で経済的と言われてきた原発に対する疑念を抱かせた。
そんな中、かねてから脱原発を主張してきたジャクソン・ブラウン、グラハム・ナッシュ、ボニー・レイット、ジョン・ホールらによって結成されたのが、MUSE(ミュージシャンズ・ユナイテッド・フォー・セーフ・エネルギー)だ。
核エネルギーの危険性を訴える彼らは、すぐさま「NO NUKESコンサート」を企画する。
そこには、自分たちの主張をファンに伝える、寄付金を集めるなどといった様々な意図があったが、一番の目的は、原子力発電という問題に対して多くの人たちの関心を集めることだった。
福島やチェルノブイリでの事故がまだ起きていないこの時代、世間の原発に対する関心は今ほどではなく、少なくともジャクソンやボニーはもっと多くの人たちに真剣に考えてほしいと感じていた。
そのためには、自分たちが行動することで広告塔となり、メディアの注目を集めるのがもっとも効果的だと、ボニーは記者会見で話している。
「わたしたちの役目はメディアの注意を引くことです。もしこれが(バンド抜きで)ただ人々がここに集まっただけのものだったら、みなさんはきっとこれを報道さえしないでしょう」
それは、ともすれば自分たちがこれまでにミュージシャンとして築いてきたキャリアを台無しにしてしまうかもしれないというリスクもあったが、彼らはそれを承知のうえで行動を起こしたのだ。
その結果、ドゥービー・ブラザーズ、ブルース・スプリングスティーン、CS&N、ジェイムス・テイラー、カーリー・サイモン、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、チャカ・カーン、ライ・クーダーなど、多くのミュージシャンが賛同し、ノーギャラでコンサートに出演してくれることとなった。
コンサートは9月19日から5日間にわたって、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで開催された。
各アーティストが素晴らしいパフォーマンスで会場を沸かせ、ジャクソン・ブラウンは自身のヒット曲「ステイ」で、敬愛するブルース・スプリングスティーンとの共演を果たした。
全米の名だたるミュージシャンが一同を会したコンサートとあって、狙い通りメディアの注目を集めることに成功する彼らの行動を支持したローリングストーン誌は、表紙にMUSEの写真を掲載した。
彼らはコンサートをさらに拡散させるべく、その模様をわずか1ヶ月後に5枚組のレコードとしてリリースし、50万枚以上を売り上げてゴールド・ディスクを獲得した。さらには翌年に映画として公開され、世界中の人たちがコンサートの一部始終を目撃することとなった。
終わってみれば、このコンサートは彼らが目標とした300万ドルの寄付金は半分しか集まらなかったものの、多くの関心を集めることができたという意味では当初の目的を果たすことはできたと思われる。
しかし、ジャクソン・ブラウンはこのコンサートを振り返ってこう話している。
「ミューズは言ってみれば新しい試みで、うまくいかなかった点もあったよ。ある短い期間に多くのメディアがあることに殺到するだろ。するとね、そのメディアが引いてしまうと、人々は問題も去っていったと思ってしまうんだよね」
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