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毎朝、目が覚めるたびに
死が少しずつ迫ってくる
クイーンのボーカルにして稀代のスーパースター、フレディ・マーキュリーが亡くなったのは1991年11月24日のことだ。
享年45歳。死因はHIV感染による肺炎の合併症だった。
その早すぎる死は多くのファンにショックを与え、死後まもなくして再発された「ボヘミアン・ラプソディ」は、5週にわたって全英チャート1位となる。その売上の一部はエイズ基金に寄付された。
翌1992年4月20日、ウェンブリー・スタジアムではフレディ・マーキュリー追悼コンサートが開催された。
コンサートにはフレディと親交の深かったエルトン・ジョンやデヴィッド・ボウイをはじめ、共にツアーを回った仲でもあるモット・ザ・フープルのイアン・ハンター、さらにはロバート・プラント、ロジャー・ダルトリー、ポール・ヤング、アクセル・ローズなど、数多くのスターたちが駆けつけて次々に素晴らしいパフォーマンスを披露した。
その中でも、多くの人たちの心に強い印象を残したのがジョージ・マイケルの「愛にすべてを」だ。
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自分の足で立つのがやっとで
鏡の中を覗いてみては涙を流す
主よ、私をどうするおつもりですか
ワムのボーカル兼ソングライターとして、80年代のポップスシーンを牽引してきたジョージだが、そのルーツはエルトン・ジョン、スティーヴィー・ワンダー、そしてクイーンにあるという。
「コンサートに行ける年齢になってからは、クイーンのショウ全部に畏怖の思いで巡礼に行ったよ。
ステージにいるフレディを見た時には『すごすぎる…あそこに立つのはいったいどんな感覚なんだろう』って思った」
1981年にワムとしてデビューしてからは幾度となく大観衆の前で歌い、1985年のライヴエイドではフレディと同じステージにも立った。
それでも追悼コンサートの時ほど、フレディと同じ感覚を味わったステージは他にないだろう。
何しろ、クイーンのメンバー3人による演奏をバックに「愛にすべてを」を歌ったのである。
「クイーンの曲、特に『愛にすべてを』を歌うのは、本当に信じられないような気分だった。多分、僕のキャリアで最高の誇らしい瞬間だったよ」
幾度となくステージで歌うフレディの姿を目に焼き付け、その歌声と全身から放たれるエネルギーを浴び続けてきたジョージは、難曲といわれる「愛にすべてを」をこれ以上ないというほど完璧に歌いきってみせるのだった。
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人生の全てをあなたへの信仰に捧げてきた
それなのに何の救いも得られないのです、主よ
どなたか、見つけてください
私の愛する誰かを
参考文献:『フレディ・マーキュリー 孤独な道化』レスリー・アン・ジョーンズ著/岩木貴子訳(ヤマハミュージックメディア)
(このコラムは2016年8月30日に公開されたものです)