「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the LIVE

ブラックリストとなっていた「腰まで泥まみれ」をテレビで歌ったピート・シーガー

2018.01.30

Pocket
LINEで送る

1960年代にアメリカのCBSで放送された音楽バラエティ番組、『スマザーズ・ブラザーズ・コメディ・アワー』。
コメディアン・コンビのスマザーズ兄弟が司会を務める同番組は、この時代における典型的なバラエティ番組としてスタートしたが、風刺を押し出すことで次第に番組独自のテイストを強めていき、若者を中心に支持を集めた。
そして1967年、2人の兄弟はブラックリストの常連、ピート・シーガーを番組に呼びたいと考えるのだった。

ウディ・ガスリーやレッドベリーらとともに1940年代からフォーク・シーンを牽引し、1960年代のフォーク・リバイバルにも多大な影響を及ぼしたピート・シーガーは、人種差別や戦争など、アメリカを取り巻く様々な問題を歌にし、時には人々に結束する力をもたらした。

だがそれゆえに、政府から目をつけられてしまう。
共産主義者を弾圧する動き、いわゆる赤狩りが盛んだった1953年には、共産主義者だった過去が災いし、所属していた人気フォーク・グループ、ウィーバーズが活動停止に追い込まれるという憂き目にあった。
ラジオ局に彼らの曲を流さないよう圧力がかかり、レコード会社からも契約を打ち切られてしまったのだ。
それ以来、ピートはラジオやテレビといった媒体にほとんど呼ばれなくなっていた。

そんなピート・シーガーを番組に呼びたいというスマザーズ兄弟の提案に、放送局のCBSはいい顔をしなかったが、自社のレーベルであるコロムビアからピートのレコードを出していたこともあってか、渋々承諾する。
しかしCBSはひとつ条件を出した。
「腰まで泥まみれ」の最後の部分は歌うな、というのがその条件だ。


ぼくらは腰まで泥まみれ
だが馬鹿は叫ぶ「進め」
(中川五郎訳)


この歌の舞台は1942年のルイジアナ州、とある川で訓練をしていた兵隊の物語だ。
隊長は川を渡るよう指示を出すが、軍曹は茶色く濁って底の見えない川に危険を感じ、「引き返すべきだ」と忠告する。
しかし隊長は忠告を無視して川を進み、溺れ死んでしまう。

60年代後半のアメリカにおいて、泥まみれの兵士というのは明らかにベトナム戦争を思い起こさせた。そうなると歌の最後にある「進め」と叫ぶ馬鹿は、戦争を押し進めるジョンソン大統領ということになる。
少し前にジョンソン大統領から苦言を呈されていたCBSの検閲は、最後の「馬鹿」という部分に神経質にならざるを得なかった。

ところが収録日当日、ピート・シーガーは「腰まで泥まみれ」を最後まで歌った。歌の内容を変えるつもりはない、というピートの強い意思表明だった。
結果としてCBSはピートの出演シーンのうち、「腰まで泥まみれ」の部分だけをカットするという手段に出るのだった。

この歌についてピートは、レコード会社も積極的に売ろうとはせず、ラジオでかかることもなかったと語っている。

あれは、もしかしたらビッグセールスになっていたかもしれない曲だったが、完璧にブラックリストに載せられてしまった。そのことを気にしてはいないよ。それでも生活は成り立っていたからね。
でも、もしあれがちゃんと出回っていたなら、相当広まっていただろうね。


ところでベトナム戦争はというと、およそ50万人もの兵士を動員したにも関わらず一向に終わる気配を見せなかった。そして翌1968年1月にはアメリカが劣勢だということが明らかになり、ジョンソン大統領の支持率は低下していった。

そうした流れを受けてスマザーズ兄弟はCBSと交渉し、再びピート・シーガーを出演させる運びとなる。
そしてブラックリストとなっていた「腰まで泥まみれ」が全国ネットで放送されたのである。



引用元:
『インスピレーション』ポール・ゾロ著/丸山京子訳(アミューズブックス)

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the LIVE]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ