「ひとことで言ってとても感激しました。何しろ初めて日本で観られるR&Bショウでしょう?」
ゴールデン・カップスのエディ藩がそう語ったのは、1968年2月に日本で開催されたタムラ・モータウン・フェスティバルを観てのことだ。
1960年代半ば、日本にも世界的なスターや超一流のミュージシャンが、少しずつではあるが来日するようになった。それはレコードではなく生の演奏を聴くことができるという、とても貴重なチャンスだった。
ロックでは1966年のビートルズだけでなく、他にもビーチボーイズやアニマルズが、フォークではピート・シーガーやピーター・ポール&マリー、フランスからはシルヴィ・バルタンやフランス・ギャルなど、各ジャンルを代表するアーティストたちが来日している。
しかしそのほとんどは白人であり、ブラック・ミュージックに関していえば、アート・ブレイキーやジョン・コルトレーンといったジャズマンが来日しているものの、ブルースやR&Bといった音楽を日本で、それも生演奏で聴く機会はまだなかった。(ブルースマンで最初に来日したのは1971年のB.B.キングといわれている)
そんなアメリカ本場のR&Bを日本で、それも生で聴けるというはじめての機会となったのが、1968年のタムラ・モータウン・フェスティバルだ。
このときに来日を果たしたのはスティーヴィー・ワンダーとマーサ&ザ・ヴァンデラスの2組、テンプテーションズは予定されていたもののキャンセルされている。
モータウンは1959年にデトロイトで設立されたレコード会社だ。黒人だけでなく白人にも聴いてもらえるようなブラック・ミュージックを作りたいというのが、設立のきっかけだった。
しかし当時のレコード業界は、白人向けの音楽は白人が、黒人向けの音楽は黒人が、というふうにきっちり住み分けられていた。白人の市場は白人のレーベルが独占していたのだ。
そこに割り込んでいくというのは無謀とも思われたが、モータウンは次々とヒットチャートにブラック・ミュージックを送り込んでいく。
それを可能にした要因のひとつは、優れたソングライターと一流のスタジオミュージシャンたちが生み出す、ポップスとR&Bを上手くミックスさせた音楽だ。その独特のサウンドはモータウン・サウンドと呼ばれるようになった。
本物のR&B、そしてモータウン・サウンドが聴けるということで、タムラ・モータウン・フェスティバルには冒頭で触れたエディ藩をはじめ、大勢のミュージシャンたちも足を運んでいる。
彼らの多くが驚かされたのは、アーティストたちの歌やモータウン・サウンドはもちろんだが、特にバックで演奏するミュージシャンたちが生み出す強靭なリズムだった。
当時スパイダースのメンバーだったかまやつひろしは、こう感想を述べている。
「どっちかっていうと、バックの方ばかり気にしていました。スティービー・ワンダーのベースの白人の人、感じよかったナ。それからマーサとバンデラスのドラムの人」
また、モップスの星勝も同じような感想を残している。
「歌よりも演奏の方が気になりました。ギター、ベース、ドラムスなんてみんなむこうからつれてきてるんですけどテクニックがすごいですね。ボクなんか見ててもわからないくらいです。日本人とは比べものになりません」
参考文献:
『「ライヴ・イン・ジャパン」コレクション 1966-1993』鈴木道子編(河出書房新社)