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音故知新②〜ブルースってどんな音楽?

2024.08.08

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ブルースのルーツをさかのぼると、古くは西アフリカ、そして17世紀から19世紀の間にアメリカ大陸に連行された黒人奴隷の歴史に辿り着く。
現在、我々が耳にしているほとんどのロック系サウンドには「ブルースの血が流れている」と言っても過言ではないだろう。
では、そのブルースとは一体どんな音楽なのだろう?
多くの文献では、それを「アフリカ音楽を起源とするもので、アメリカ南部の黒人達が辛い労働環境や境遇を背景に生みだした音楽」とされている。
当時、奴隷として連れてこられた彼らのほとんどがガンビア、セネガル、ナイジェリア、ガーナなど、西アフリカの海岸地域の出身だった。
もともとこの地域では、GRIOT(グリオ)と呼ばれる世襲制の音楽家が存在し、彼らが口承(口伝えで音楽を演奏・伝承)してきた音楽こそが“ブルースのルーツ”と言われている。



太古よりアフリカでは「音」と「言語」が密接に結びついており、かつては打楽器をコミュニケーションの手段として使っていた。
そこに「音調」や「音色」が加わって進化していったものが、ブルースの演奏技巧に受け継がれている。
もともとバンジョーはアフリカから持ち込まれた弦楽器であり(ウォロフ族の間でバンジョールと呼ばれていた楽器)初期のブルースのギター伴奏スタイルと西アフリカのバンジョーを指で弾くスタイルはよく似ている。
西洋の音階で言う三度の音、すなわち「ド」に対する「ミ」が、クラシック音楽の感覚で正しいとされる音程よりフラットになるブルーノートスケール(ブルース特有の音階)は、黒人がアフリカ音楽から持ち込んだ要素である。
また、当時のアメリカにおいて奴隷達はドラムやラッパの使用を禁じられたという。
それは、反乱を煽るために使われるのではないかと奴隷主たちが恐れたからだった。


では、ブルースが発祥した場所はどこなのだろう?
いくつかの説がある中、ミシシッピ川とヤズー川に挟まれたこの地帯にあったアメリカで最初の綿農園ドッケリーファームが“ブルース生誕の地”とされている。
農作業の際に歌われた「ワークソング」または「フィールドハラー」と呼ばれる労働歌がブルースの原型ということは広く知られている。
それらは、過酷な労働をほんの少し我慢しやすくしてくれただけだったが、コール&レスポンス(呼びかけ応答)と呼ばれる歌詞を繰り返す手法は、やがてブルースに受け継がれることとなる。
農園の監督官に面と向かって話せない内容を表すために、いわゆる暗号・隠喩のような表現が使われたのだ。
「ブルース=憂歌」と表されることが多いがが、必ずしもすべてが悲しく憂鬱な内容ではなく、陽気で愉快な歌もあるのだ。
失恋や求愛を歌う個人的な内容から伝統的なものまであり、ダンスや酒を楽しんだりするための音楽でもあった。

ロバート・ジョンソン
マディ・ウォーターズ
アルバート・キング
ウィリー・ディクスン
サニー・ボーイ・ウィリアムスン
サン・ハウス
ジェイムス・コットン
ジミー・リード
ジョン・リー・フッカー
ハウリン・ウルフ
B.B.キング
ミシシッピー・ジョン・ハート
メンフィス・ミニーなどなど

デルタ地域の小さなジュークジョイント(黒人の大衆酒場)から生まれた歴史的なブルースマン&ブルースウーマンたちの多くは、それまで黒人達が強いられてきた生活(労働環境)から逃れようとして、メンフィス周辺を経由してシカゴやセントルイス、そしてデトロイトやニューヨークなど北部の都市に移動していったのだ。


──20世紀に入り、レコードやラジオという新しいメディアが急速に発展してゆく。
1920年頃には、都会から南部の山奥に至るまで、こうした文明の利器が広まっていたという。
メディアの発展によりメジャーレコード会社がブルースを扱うようになったのは、全米各地で盛んになりはじめていたWBSやWSMなどの地方ラジオ局が黒人向け音楽を頻繁に流し、高い人気を得ていたのが理由だった。
そして1920年8月10日、メイミー・スミスという黒人女性歌手が「Crazy Blues」を含む数曲をレコーディングする。
これは音楽史上初めてのブルースの録音となっただけでなく、歴史上初めて黒人女性の声がレコード化された記念すべき一枚となった。
このレコードは、発売から1年以内に販売枚数100万枚を超えるという(当時としては)驚異的なセールスを記録する。


それは“世界初のブルースのレコード”としてだけでなく、社会に大きな影響を与えることとなった。
人種差別や女性軽視がまだ当然のように存在していた当時、芸術や文化は黒人達が自分達の存在とその意義を社会に訴える有効な手段となった。
そして「成功する」ということは「黒人が白人より劣った人種ではない」ということを証明する意味を持っていたのだ。
黒人であり女性であるメイミーの成功は、ベッシー・スミスを代表とする女性ブルースの黄金時代を築き、ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンなど、次世代の女性エンターテイナーが活躍する下地を作ることとなる。
この流れは、元奴隷やその子孫が結集して住んだニューヨークのハーレムを中心に起こった “ハーレムルネサンス”の勢いに拍車をかけたとも言われている。
アメリカ史上において初めて黒人文化が花開いたハーレムは新しいカルチャーの発信地となり、それまで白人を対称にしていた「文化」という存在に、大きな革命を起こす。
教育や仕事、公衆トイレやバスの席順にいたるまで、あらゆることで黒人達を虐げてきた人種差別は、彼らの未来から「希望」という言葉を奪い去るものだった。
このブルースミュージックのレコード化は、1950年代に始まる公民権運動やブラックパワームーブメントにも大きな影響を与えるようになってゆく……


こちらのコラムの「書き手」である佐々木モトアキの活動情報です♪

【佐々木モトアキ公演スケジュール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12660299410.html


【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html


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