1949年12月7日、トーマス・アラン・ウェイツ(出生名)は、カリフォルニア州の南部にあるポモナという街で生まれた。
ポモナという名前は、古代ローマ神話の果実の女神に因んで名付けられたもの。1830年代にスペイン人がまず入植したポモナ市に、イギリス系アメリカ人が到着したのは1868年のことだった。1880年代までに鉄道が開通し、コーアチェラ・バレーの水が有ることで、柑橘類を育てる地域の西の中心になった街である。
トムが幼い頃、一家はカリフォルニア州南部のブルーカラー(肉体労働者)が暮らす田舎町を転々とした。それはスタインベックの小説『怒りの葡萄』に登場する移民労働者達が安住の地を求めて辿り着いた場所。
そこで彼が親しんだ音楽と言えば、ラジオから聴こえてきたジャズ、そして下町の酒場で奏でられていたキャバレー音楽や、流れ者が路上で爪弾くブルースだった。
「サンディエゴ、ラバーン、シルバーレイク、ノースハリウッドといった街では、当時あまり黒人やヒスパニック系を見かけなかったな。だけど俺はスパニッシュなものとメキシカンなものが大好きなんだ。」
父ジェシー・フランク・ウェイツのルーツは、スコットランド系とアイルランド系。母アルマの家系にはノルウェー人の血が流れていて、旧姓はマクマレイ(MacMurray)。“Mac”の付く姓は、ゲール系(アイリッシュ、スコティッシュ)を表している。
そもそも“ウェイツ”という苗字の語源は、中世の“見張り人”を意味し、当時は一時間毎に時の経過を祝うのが仕事だったという。トムの記憶では、幼い頃に初めて聴いた曲は、父親が歌うアイルランドの伝統的な民謡「Molly Malone」だった。
1959年、トムの両親が離婚をする。
「当時、俺はまだ10歳だった。親父はそれから2回再婚して、母親もようやく私立探偵と再婚したよ。」
トムは父親のフランクについてこう述懐している。
「本当にタフな男だった。オレンジ園で眠り、反逆に次ぐ反逆…そんな生き方だった。」
父の名前を、自身が80年代に発表したアルバム(3部作)の歌詞の中に度々登場させている。さらには2004年に発表したアルバム『Real Gone』には、「Sins of My Father」という曲を収めた。
あるインタビューで、自分の父親のことを尋ねられたトムは、聖書を引用するかのようにこう切り返した。
「俺の親父だろうと、あんたの親父だろうと、親の罪は子に報う。わかりきったことさ」
両親が離婚すると、トムは母親や姉達とナショナルシティーに移り住んだ。サンディエゴの外れにあるその街は、面積のほとんどを海軍基地の広大な敷地が占め、常に何千人という兵士が移動の途中に立ち寄っていた場所である。
そんな街で暮らしたトムは、青年に成長すると頻繁に一人旅をするようになる。車で何時間もかけて父と母の間を行き来していたのだ。ひたすら高速道路を飛ばしているうちに、いつの間にか路上を走り回ることそのものが好きになっていったという。
「初めて自分の車を手に入れたのは14歳の時だったよ。ある意味、アメリカの伝統みたいなもんで、免許を取ることが成人式の代わりなんだ。車を持っててもヒーター無しじゃ冬場はきつい。特に空気が離婚前のかみさんより冷たい時はね(笑)」
<引用元・参考文献『素面の、酔いどれ天使』パトリック・ハンフリーズ(著)金原瑞人(訳)/東邦出版>
The Early Years, Vol. 1
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執筆者
【佐々木モトアキ プロフィール】
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