最後の賭けだった。
ザ・ツーリスツを解散後、恋人でもあったアニー・レノックスと「ユーリズミックス」を結成したデイヴ・スチュワートだったが、バンドを継続するための資金は底をついていた。銀行に頼み込んで借り入れた金もあまり残っていなかった。
ふたりでレコーディングするには、どうすればいいのか。
デイヴが持っていたのは、ローランドのシンセサイザーだった。
アニーが持っていたのは、カーツウェイルのキーボードだった。
デイヴはドラム・マシーンを買うことにした。望みのものを予算内で買うために、デイヴは200マイル車を走らせた。彼らは、エレクトリック・ポップ・グループとしてしか、経済的にやっていけなかったのである。
そして、曲作り。だが、なかなかいい曲は生まれなかった。そして、日々、絶望的な気分で顔を突き合わせているうちに、デイヴとアニーの間にも隙間風が吹くようになっていた。
「そして私たちは大喧嘩をしたのです。ああ、もうこれで終わりだ、と思ったのを覚えています」
とアニー・レノックスは語っている。
「俺ひとりでも、曲は作る」
デイヴ・スチュワートはそう言うと、ドラム・マシーンによるリズム・パターン作業に戻った。アニーはその場を立ち去ることもできた。だが、彼女の感情とは裏腹に、デイヴが奏でるリズムに響きあうリフを思いついたのである。アニーはキーボードで、そのリフをデイヴのリズムに重ね合わせた。
「スウィート・ドリームス」の原型ができた瞬間である。
そしてそれは、ふたりが恋人の関係から、曲作りのパートナーとなった瞬間でもあった。アニー・レノックスはそのリズムとリフの上に、「甘き夢」という歌詞を乗せた。
甘き夢。
アニーはその正体を知っているのだが、彼女の中にはその現実を認めたくない自分がいる。そして歌は、恋の正体をこう説明するのである。
あなたを利用したい人がいて
あなたに利用されがっている人がいる
あなたをいじめたい人がいて
あなたにいじめられたがっている人がいる
この歌詞は、オレンジ色のショート・ヘアーに男装のアニーのルックスと相まって、強烈な印象を残した。そしてサルバトール・ダリやルイス・ブリュネルを敬愛するデイヴがアイディアを出したプロモーション・ビデオのインパクトは絶大だった。
このビデオには何故か、牛が登場する。デイヴがその理由を説明したのは、「スウィート・ドリームス」が発表されてから20年後のことだった。
「何故、あのビデオに牛かって? セス・ゴーディンの本を読めばいい」
デイヴ・スチュワートは2004年になってそう語っている。2004年に発表されたセス・ゴーディンの著作『「紫の牛」を売れ』は、マーケティング関連の本としては異例のベスト・セラーになった。
普通の牛では売れない。普通ではない、人の関心を引く牛を売れ、というような内容なのだが、デイヴ・スチュワートは、自分は20年前にビデオでそれをやっていたのだ、と言いたかったのだろう。
別れの危機と共に降ってきた楽曲。
ふたりの微妙な関係を反映させたアニーの歌詞。
そしてデイヴのシュールな世界観。
「スイート・ドリームス」は、それらの要素が奇跡的に組み合わさって生まれたのだろう。
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