グレッグ・ペックノールドはシアトルのミュージシャンだった。1960年代にはファゾムスというソウルフルなバンドを率いていたが、大した成功は果たせなかった。
だが、彼はいつも音楽を愛していた。
そして娘が生まれると、その思いを名前に託そうと思い立った。
Aja(エイジャ)。
彼は、お気に入りだったスティーリー・ダンのアルバム・タイトルを娘に名づけた。
『Aja(エイジャ)』は、1977年にスティーリー・ダンが発表した、彼らにとってもっとも成功した6作目のアルバムである。
アルバムのジャケットには日本人モデル、山口小夜子が起用された。スペルは違うが、明らかに「エイジャ」は、アジアを意識していた。
アジアを意識したのは、ドナルド・フェイゲンだった。彼は東洋思想に、そして東洋の女性のエキゾチックさに関心を持っていた。そして彼は思い出したのである。確か、Ajaという名前だったはずだ。。。
ドナルド・フェイゲンが思い出したのは、高校時代の友人が結婚した韓国人女性の名前だった。高校時代のクラスメイトは、韓国の米軍基地で任務についていた時、韓国の女性と結婚していたのである。
アルバムのタイトル・トラック「エイジャ」には、グレッグ・ペックノールドがため息をつくほどのミュージシャンたちが参加していた。
ギターには、ラリー・カールトン。
ベースには、チャック・レイニー。
ピアノには、ジョー・サンプル。
テナー・サックスには、ウェイン・ショーター。
バック・ボーカルには、ティモシー・シュミットが参加していた。
それから約30年後のことである。
シアトルのインディー・レーベル<サブ・ポップ>から、バンドがデビューする。ニルヴァーナが巣立った名門レーベルからデビューしたバンドの名は、フリート・フォクシーズ。アコースティックで美しいサウンドと、ビデオ・クリップの美しさで絶賛されることになった。
その魅力は、大作クリップ「シュライン/アーギュメント」を見ていただければ、納得できるだろう。
このバンドのマネージャーこそ、グレッグ・ペックノールドの娘、エイジャ・ペックノールドだった。そしてバンドのフロントマンは、エイジャの弟、ロビン・ペックノールド。ビデオのプロデュースはロビンの兄、ショーンなのである。
興味深いのは、ロビンが日本の小説やアニメの大ファンだということである。
グレッグ・ペックノールドがまいた「エイジャ」という種は、子供たちの中で見事、花開こうとしている。