『ニュー・シネマ・パラダイス』(Nuovo Cinema Paradiso/1988)
大人になればなるほど左胸が熱くなる映画『ニュー・シネマ・パラダイス』(Nuovo Cinema Paradiso/1988)。人は決して一人では生きていないこと。行動しなければ何も始まらないこと。そこには年月というものの重みがあり、人の数だけ喜びや苦悩があること。この映画は本当にたくさんのことを思い出させてくれ、忘れていたことをもう一度教えてくれる。これは年の離れた友人同士の、子と母の、男と女の、土地と映画館の、そして何よりも映画を愛するすべての人々のための物語である。
この場所から出ろ。
ここにいると自分が世界の中心だと感じる。
何もかも不変だと感じる。
だが2、3年も他にいると、何もかもが変わってる。
頼りの糸も切れる。会いたい人もいなくなってしまう。
一度ここを出たら、長い年月帰るな。
年月を経て帰郷すれば、友達や懐かしい土地と再会できる。
今のお前は私より盲目だ。
人生はお前が見てきた映画とは違う。
人生はもっと困難なものだ。
行くんだ。お前は若い。
もうお前と話したくない。
お前の噂が聞きたい。
帰ってくるな。
私たちを忘れろ。
手紙を書くな。
ノスタルジーに惑わされるな。
自分のすることを愛せ。
子供の時、映写室を愛したように。
監督/脚本はジュゼッペ・トルナトーレ。シチリア島で育った彼が自らの体験を基に周囲の人々の記憶を紡ぎながら描いた“みんなのための実話”だ。この映画では味わい深い脇役たちが強い印象を残しているが、それは年老いた人々が親身になって当時の話を丁寧に聞かせてくれたからに違いない。手作りの映画が醸し出す“つながりのある温かみと優しさ”は、どんなに優れたテクノロジーも表現できない。
この映画は今年80歳の私の胸をかきむしった。アアと思わず声が出た。
それはフィルムのコマギレが話のネタになっていたからだ。
映画のフィルムの一片のことを昔はコマギレと呼んだ。
この映画はフィルムのコマギレの魂の歌であった。
そのフィルムの心のメロディは私にはたまらなかった。
私も実は、この映画の少年のようにフィルムのコマギレを集めて夢中になった。
(映画評論家/淀川長治)
(以下ストーリー・結末含む)
1980年代のローマ。映画監督として成功を収めているサルヴァトーレ・ディ・ヴィータが夜遅く帰宅すると、30年も帰っていない故郷シチリアの母から電話がかかっていた。「アルフレードが亡くなった。明日葬儀がある」との伝言だった。サルヴァトーレはベッドの中で、「トト」と呼ばれていたシチリアでの幼少の日々を回想していく。それはアルフレードとの想い出でもあった……
……トトは母親と妹の三人暮らし。父親は第二次世界大戦で戦死した。そんなトトを夢中にさせたのは村で唯一の娯楽である映画だった。広場にある「パラダイス座」には老若男女いろんな人々が集い、恋愛もの、喜劇、西部劇、人間ドラマ、恐怖ものなど様々なジャンルの映画を観ては、泣き笑い、叫んだりしている。教会が運営していることもあり、神父はあらかじめ上映作品をチェックして、男女のキスシーンなどを省くようにアルフレードに鈴を鳴らしながら指示している。
アルフレードは村に一人しかいない映写技師。彼のことが大好きなトトは毎日のように映写室に通う。フィルムのコマギレを密かに拾い集めているトトはカットされたフィルムを欲しがるが、根負けしたアルフレードは「お前のものだが、まだ早い。俺が預かっておく」と言う。トトにとってアルフレードは何でも教えてくれる父親であり、何でも話せる友人のような存在であった。
ある日の夜、上映中の「パラダイス座」で火災が起こり、アルフレードが負傷して失明してしまう。今度は「新パラダイス座」として建て替えられ、映写師は仕事を教わっていたトトが任命される。それから歳月が流れ、青年になったトトは8ミリカメラに夢中になる。そして高嶺の花であるエレーナに恋をする。雨の日も風の日もエレーナを待ち続けるトト。二人は映写室で初めてのキスをする。
しかし二人の幸福は長く続かなかった。エレーナの両親はトトを認めようとはせず、トトは兵役にとられる。エレーナとの約束を最後まで信じたトトだったが、彼女は現れなかった。1年間の兵役を終えたトトはアルフレードに会いに行く(そこで掛けられるのが冒頭の言葉だ)。
あれから30年が経った。サルヴァトーレはシチリアに戻ってきた。老いた母と久しぶりの会話をする息子。
ずっと帰ってくるのが怖かった。
今は心も強くなったと思ったし、昔のことは忘れたと思ってた。
帰ってきたら何も変わっていない。
ずっとこの村にいたようだよ。
すると、母は言う。
お前に電話すると、いつも違う女性が出る。
でもお前を心から愛してる声をまだ聞いていない。
聞けば分かるの。
お前が誰かを愛して落ち着いてくれれは嬉しいわ。
エレーナの幻を見ながら、アルフレードの葬儀に参列するサルヴァトーレ。振り返ると、昔、映画館にいた人々の老いた姿がいくつも見える。館主だった人はサルヴァトーレを見て静かに話し続ける。「どうして僕に敬語を使うんです?」「すっかり偉くなられたから。でもお望みならこう言うよ。“トト”」。
廃れた「新パラダイス座」が取り壊しのために爆破される。駐車場になるという。アルフレードの妻から形見を受け取ったサルヴァトーレはシチリアを後してローマへ戻る。形見はフィルム缶だった。試写室に座って形見が上映されるのを待つサルヴァトーレ。スクリーンに映るのは、幼少の頃アルフレードが預かっていてくれたカットされたフィルム。銀幕のスターたちのキスシーンの数々だった……。
屋外映写などの名シーン、アルフレードや母親などの名言が多い『ニュー・シネマ・パラダイス』は、エンニオ・モリコーネの旋律によってさらなる感動へと観る者を誘う。また、「完全オリジナル版」は劇場公開版に未公開51分のシーンを付け加えたもので、エレーナとの30年ぶりの再会やすれ違いの原因が解き明かされている。アルフレードはトトが将来は有望な映画監督になることを知っていて、だからこそ厳しく言い聞かせて旅立たせたのだ。
予告編
この映画の真髄は最後の最後に訪れる。これは長い映画史の中でも最も感動的なラストシーンの一つ。
DVD『ニュー・シネマ・パラダイス(完全版)』
*日本公開時チラシ
*参考・引用/『ニュー・シネマ・パラダイス』パンフレット
*このコラムは2016年9月に公開されたものを更新しました。
評論はしない。大切な人に好きな映画について話したい。この機会にぜひお読みください!
名作映画の“あの場面”で流れる“あの曲”を発掘する『TAP the SCENE』のバックナンバーはこちらから
【執筆者の紹介】
■中野充浩のプロフィール
https://www.wildflowers.jp/profile/
http://www.tapthepop.net/author/nakano
■仕事の依頼・相談、取材・出演に関するお問い合わせ
https://www.wildflowers.jp/contact/