『モスキート・コースト』(The Mosquito Coast/1986)
“情報”や“消費”や“流行”に踊らされることがまだまだクールだった時代がある。日本では1986年〜1991年におけるバブル期がそれにあたる。もちろん惑わされたり、囚われたりしたこととは無縁の人もいただろう。だが都市部(特に東京都心)ではまるでパラレルワールドのように、そうすることが賢明というような空気が街々に確かに漂っていた。
当然、金を持っていること。マーケティングに長けていることが賛美され、そしてスタイリッシュかつ虚飾を気取れる恋愛がもてはやされた。毎日がパーティであること。最新を追求すること。リッチ&トレンディがドレスコードになった。
『モスキート・コースト』(The Mosquito Coast/1986)は、そんな真っ只中の1987年2月(アメリカは1986年12月)に公開された。バブル的価値観とは真逆を行くようなこの映画は、浮かれた人々には到底理解できなかった。しかし、“情報”や“消費”や“流行”といった文明に疲労を感じ取り、人間本来のあり方を夢見始めた人は大きな共感を覚えたはずだ。
こういう考えはインターネットが浸透したゼロ年代以降、特に強くなった感がある。アレックス・ガーランドの小説『ザ・ビーチ』はそんな気分を代弁していた……。
原作はポール・セローが1982年に発表した小説。監督と主演は『刑事ジョン・ブック/目撃者』(1985)に続いてコンビを組んだピーター・ウィアーとハリソン・フォード。脚本は『タクシー・ドライバー』のポール・シュレイダー。そして特筆すべきは息子役を演じたリバー・フェニックス。『スタンド・バイ・ミー』(1986)で圧倒的な存在感を示し、本作での起用が決まった。
アメリカの便利さ、文明社会が卑劣な犯罪や殺人の温床になっていると嘆き、嫌悪するアリー・フォックス(ハリソン・フォード)は、妻と子供4人を連れて中米ホンジュラスのジャングルへ移住する。
モスキート・コーストと呼ばれる未開の密林地帯に面食らう長男のチャーリー(リバー・フェニックス)たち。何もない土地に理想郷を築き上げようとする父親に従うことが精一杯だ。だが、大自然の緑の中に、巨大な製氷機や冷房装置など次々と実現していくアリーの行動力と率先力を誇りに思ってもいる。
皮肉にもジャングルに文明を作り上げてしまうフォックス一家。それを面白くないと思う連中も現れ、武装集団の侵入で理想郷は破壊されてしまう。アリーはそれでもめげず、さらなるサバイバルを家族に課す。信念を貫くあまり、母や弟や妹たちを危険にさらす父親に、遂にチャーリーは疑問を抱く。そして予期せぬ事態が起こるのだった……。
映画はリバーのモノローグで始まり、終わる。
父を信じていた頃、世界は小さく年老いていた。でも父が死んだ今、世界は限りなく広い。
モノローグは使い方によっては危険な手法だが、あの不朽の名作『天国の日々』と同様、本作では切ないほどの重みを増した。
さらに秀逸なのは、文明社会を捨ててジャングルの奥地へと向かう家族の物語の背後に、滅びゆくヒーロー像、絶対的な父親像の崩壊が描かれた点。だからこそ、リバーのモノローグが静かに心に刺さった。
予告編
『モスキート・コースト』
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*日本公開時チラシ
*参考・引用/『モスキート・コースト』パンフレット
*このコラムは2019年8月に公開されたものを更新しました。
評論はしない。大切な人に好きな映画について話したい。この機会にぜひお読みください!
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