アース・ウィンド&ファイヤーの中心人物として、またはソロ・シンガーとしても成功を収めたモーリス・ホワイトが、音楽のキャリアをスタートさせたのは、ドラム奏者としてだった。
シカゴに本拠地を置くヴィー・ジェイやチェスなどのレコード会社のスタジオ・ミュージシャンとして、ジャッキー・ウィルソンなどのソウル系のミュージシャンから、マディー・ウォーターズといったブルース・ミュージシャン、さらにはジャズ・ミュージシャンに至るまで、幅広く仕事をこなしていた。
そして1966年、モーリスは「ジ・イン・クラウド」の大ヒットで一躍有名になっていたチェス所属のジャズ・ピアニスト、ラムゼイ・ルイスのトリオに加入する。
「ジ・イン・クラウド」
ラムゼイ・ルイスは、当時ジャズというフォーマットを取りながらも、ビートルズやR&Bのカヴァーなどを多く取り入れ、アルバムを次々に大ヒットさせていく。そのような音楽に対するバランス感覚や、ステージでの演出に関することなど、モーリスは大規模なツアーを回る中でラムゼイから多くを学んだ。
1969年にトリオを脱退したモーリスは、同時にチェス・レコードからも離れ、アース・ウィンド&ファイヤーの前身となるバンドを結成する。翌1970年には10人編成のアース・ウィンド&ファイヤー(EW&F)を結成し、ワーナーと契約を交わした。
この頃にモーリスの良き相談相手となっていたのが、チャールズ・ステップニーだ。
チェス・レコードでミニー・リパートンやデルズ、テリー・キャリアー、マディ・ウォーターズなどのプロデューサーとしても名を上げていたチャールズは、モーリス在籍時代のラムゼイ・ルイス・トリオへの楽曲提供やアレンジ、プロデュースなども手がけ、モーリスとの親交も深かった。
モーリスはチェスを離れた後も、チャールズからのアドバイスを色々と受けていたが、ワーナー・ブラザーズから出したEW&Fの2枚のアルバムには、チェスとの契約上チャールズの名前はクレジットされなかった。
モーリスのEW&Fはワーナーを離れ、大幅なメンバー・チェンジをして、1972年にコロムビアに移籍する。この時にドラマーを加入させ、モーリスはヴォーカリストとしてフロントに立つ決意をする。また、ファルセット・ヴォーカルのフィリップ・ベイリーをスカウトし、迎え入れたのもこの時期だ。
そしてチャールズ・ステップニーもこの頃から本格的にEW&Fに関わりはじめる。共同プロデューサーとして名前を連ねた1974年のアルバム『太陽の化身』はゴールド・ディスクに、翌1975年のアルバム『暗黒への挑戦』では、プラチナ・ディスクに輝く。
「暗黒への挑戦」
しかし、同じく1972年にチェスからコロムビアに移籍したラムゼイ・ルイスは、1960年代に大活躍した頃の輝きが少し影を潜めていた。
そこでその当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった二人、モーリス・ホワイトとチャールズ・ステップニーの二人が再び彼のために集まった。
1974年のラムゼイ・ルイスのアルバム『太陽の女神』のリード曲「太陽の女神(SUN GODDESS)」で、モーリスは楽曲提供以外に再びドラムも演奏し、EW&Fのメンバーのフィリップ・ベイリーと、ベースのヴァーダイン・ホワイトも参加させた。そしてチャールズは、ラムゼイのエレクトリック・ピアノにフェンダー・ローズやARPなどのシンセサイザーで彩りを添えた。
モーリスにとって初の外部プロデュース作品となったこのアルバムは、1975年のビルボード・ブラック・アルバム・チャートとジャズ・アルバム・チャート共に1位を記録する大ヒットとなり、ゴールド・ディスクにも輝いた。
モーリスの、かつての師への素晴らしい恩返しとなったのだ。
EW&Fのカラーが前に出たフュージョン的なサウンドに、後半のラムゼイのファンキーなピアノ・ソロが冴え渡り、まさに太陽のように輝く楽曲となっている。かつての仲間が集結したことによって生まれた、ラムゼイ・ルイスの1970年代を代表する1曲だ。
「太陽の女神」
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参考文献:レコードコレクターズ増刊「ソウル・マスターズ」株式会社ミュージック・マガジン、wax poetics japan 14号 サンクチュアリ出版