バリー・マクガイアが発表した「明日なき世界(Eve of Destruction)」は、1965年9月25日にシングル・レコードが全米チャートの1位になった。
曲を書いたのはP.F.スローンという10代の若者で、早くから卓越した作詞・作曲のセンスを買われて、大手の音楽出版社と契約してソングライター兼スタジオ・ミュージシャンとして働いていた。
ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」がプロテスト・ソングとして評判になっていたことから、スローンにそうした傾向の曲を書くように発注したのは、ダンヒルを設立したプロデューサーのルー・アドラーである。
19歳になったスローンが「明日なき世界」を書いた1965年は、アメリカが北ベトナムへで空爆を開始した年だった。スローンはベトナム戦争の泥沼にはまっていた当時のアメリカにおける、国内と国外の災いについて3分弱の曲に詰め込んで、核戦争が起こった後の恐怖を描いている。
東の世界が燃えている
暴力が蔓延し、銃弾が装填される
選挙権はなくとも人殺しは出来る年齢
戦争だなんて信じられなくとも
銃を持たなくちゃいけない
ヨルダン川でさえ死体が浮いている
でも言ってくれ
何度も、何度でも繰り返して、
我が友よ、あぁ、あんたは思ってないと
俺たちが 滅亡の目の前にいるなんて
歌詞の内容が強烈すぎるという理由で、一部の地域では保守的な放送局が放送禁止にした。しかし、その話題がメディアや人々の関心を引いて、大ヒットにつながったともいわれている。
これを日本語でカヴァーしたのは高石ともやで、メッセージ性のあるフォーク・ソングを広めた先駆者である。彼は1966年からピート・シーガーやボブ・ディランの歌を取り上げて、日本語に訳して歌っていた。
高石の訳詞はオリジナルの痛烈なメッセージを可能な限り、日本語の口語体で伝えようとするものだった。
高石ともや&ジャックス
しかし1975年にベトナム戦争が終わって時代が移り変わるとともに、核戦争の恐怖を描いたこの歌は少しずつ忘れられていく。
ところがそれから20年後に忌野清志郎がこの歌をカヴァーしたことで、あらためて多くの人が核戦争と核の恐怖について、関心を向けることになった。
1988年に発表されたRCサクセションの『COVERS』は反核をテーマにした内容のアルバムで、「明日なき世界」が忌野清志郎による歌詞で1曲目に収められていたのだ。
『COVERS』はRCサクセションのアルバムで唯一、オリコンチャートの1位を獲得した作品になった。ある音楽専門誌は当時、「明日なき世界」の歌詞を引用してこのように絶賛した。
『カヴァーズ』の清志郎は怒っている。それは血の涙を流さんばかりの怒りだ。「世界が終わるなんて嘘だろ?」と叫ぶ清志郎は最大の「敵」を見つけたのだ。だから88年のRCがこんなにも危うくて熱い。よみがえったゴジラの大進撃を見るようなとにかく痛快な1枚だ。大推薦盤。(「シンプジャーナル」88年10月号)
その一方ではある文芸評論家が、アルバム自体をあからさまに非難した原稿を朝日ジャーナルに寄稿していた。
このLPはすべて、六〇年代ポップスの替え歌なのだ。こんなへたくそな歌手に、これほどつまらん歌詞をつけられてリメイクされていると知ったら、ディランもレノンもアダモも、「ポップの魂」の名にかけてきっと怒り狂うだろうし、実際、彼らの歌声とともに思春期を送ったわたしなどは、怒りを越えてひたすら赤面してしまった。(「朝日ジャーナル」88年9月2日号)
それから四半世紀もの年月が過ぎて、2009年に忌野清志郎が逝ってしまった今もなお、残された歌は多くの人に聴かれ続けることで、彼のメッセージを後世に伝えている。「これほどつまらん歌詞」と罵倒された歌詞は、古びるどころか逆にリアリティを増してさえいるのだ。
もちろんこの乱暴な発言は色あせてすっかり忘れ去られてしまったが、忌野清志郎の口惜しい気持ちとともに記録しておきたい。
(注)本コラムは2015年9月11日に初公開されました。なおこのテーマに関連するコラム『「できることなら、この胸を切り裂いて、どんな気持ちで歌を作ったのか、見せてやりたいよ」忌野清志郎』は、こちらから御覧いただけます。
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