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「できることなら、この胸を切り裂いて、どんな気持ちで歌を作ったのか、見せてやりたいよ」忌野清志郎

2015.09.12

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バリー・マクガイアの「明日なき世界」で始まり、ジョン・レノンの「イマジン」で終わる洋楽のカバー・アルバム『COVERS』は、RCサクセションと契約していたレコード会社の東芝EMIから1988年8月6日、世界で最初の原子爆弾によって多くの人の生命が奪われた広島の平和記念日に合わせて発売される予定になっていた。

しかし「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」が原子力発電への不安や危険性を訴える内容だったことから、原子炉を作る親会社の東芝から圧力がかかった。

子会社である東芝EMIはそれにまったく抵抗できず、6月25日に発売予定だった先行シングル「ラヴ・ミー・テンダー」と、アルバム『COVERS』の発売を中止にする。
それに関して「素晴らしすぎて発売できません」という、ふつうに考えると意味がわからない新聞広告が、音楽とは場違いな経済面の片隅に掲載された。

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パリの通信社はそのニュースを、次のように報じていた。

日本の大手レコードメーカー東芝EMIは22日、リベラシオン紙等で健筆を振るうフランス人ジャーナリスト、コリーヌ・ブレがコーラス等で参加していた日本のロックグループのレコードを発売3日前に突如発売中止とした。
中止は「イッツ・ア・ビティ、イッツ・ソー・グレイト、バット・ウィー・キャント・リリース!」という意味不明のコピーとともに広告の形をとって日本の有力紙、朝日新聞の商況欄に掲載されただけで理由に関しての説明は一切ない、といういつもながらの日本式が採用されている。
これをうけて日本のマスコミ各社はグループが発表しようとしていた反核のメッセージに問題があったのではという憶測記事をさまざまに紹介している。
この事件は決定だけを重んじ、プロセスを相手に理解してもらおうという努力を怠る日本人のやり方が、国際的な場面だけでなく国内でもまかり通っていたことを広く各国に知らしめることとなった。


そこから起こった様々な騒ぎのなかで、当時のマスコミがどう反応したのかをあらためて検証してみた。

報知新聞の芸能記者を経て音楽評論家になった伊藤強は、権力による世論管理の危険性について指摘していた。これは21世紀の今でも、そのまま通じる問題だ。

RCサクセションのLP 『COVERS』とシングルの「ラヴ・ミー・テンダー」の発売中止事件は、今更のように世論管理が行き届いている日本の現状を教えられたような気がする。「ラヴ・ミー・テンダー」なんて、聞きようによってはパロディである。しかしそれに対してさえも体制側は「きちんと」対応してくる。つい四〇数年前の日本を思い出させてくれるのだ。(伊藤強 「放送批評」1988年9月号)

ロックが世界に大きな影響を与えた60年代の後半に音楽を語る活字の場として『ニューミュージック・マガジン』を創刊した音楽評論家の中村とうようは、『COVERS』を作った忌野清志郎が「大人にもロックを聞いてほしいなと思ったのが動機」だということを理解していた。

清志郎がせっかくこうやって、とてもわかりやすい日本語で、日本化した外国曲集を作ってくれたのだから、このアルバムがロックに関心のない中高年サラリーマンたち(東芝社員も含めて)に愛され、みんなに歌われるといい。そのためにはぜひカラオケ・バージョンも発売してください。(中村とうよう ミュージック・マガジン1988年9月号)

一方で大人が読んでいる総合週刊誌には「たかがロック」と、いつもながらの底意地の悪い記事が目立った。
週刊新潮の『おいしくて贅沢な「反原発」ロック』と題した記事を引用する。

たかがロックに目クジラを立てるつもりはないが、あまりムシ暑いので、清志郎の顔が鬱(うつ)陶しくなってきた。「アブネエ」と叫ぶのはいいけれど、今や電力の四割近くは原子力発電。清志郎のレコードもコンサートも、いってみれば原発の恩恵に浴し、電力の消費量を高めていないとは言い切れない。辻説法でもするのなら話は別だ。しかし、レコードで反原発を唱えることは果てしない矛盾に陥りはしないか。(週刊新潮1988年8月25日号)

音楽の専門誌や業界誌は基本的に音楽が好きな人たちが働いているせいもあってだろうが、忌野清志郎の切迫感や素直な表現に賛同する声が多かった。
そのために表現の自由を力づくで奪った親会社と、その圧力に従うしかなかったレコード会社に批判的な目が向けられた。

何はともあれ、レコード会社が自ら表現の自由を規制した事は、ポップスの歴史の大きな汚点として記憶されることになるだろう。(北中正和 CDジャーナル 1988年8月号)

今後、日本の原子力発電所がすべて停止する日まで、ワタクシは、たとえ乾電池一個、二股のコンセント一つといえども、東芝の電気製品は一切買いません。(景山民夫 宝島1988年8月号)

東芝EMIとレコードというレコード会社は、ロックの根源を否定した。かつて自分たちが日本に紹介したビートルズ、わけてもジョン レノンの教訓は、ここではまったく生かされていない。そして日本のロック・ミュージックの退歩に力を貸したのだ。再度確認しよう。この会社のレコードは「素晴らしくないから」発売されているのだということを。(中日スポーツ1988年)

そうした騒ぎのなかで矢面に立たされていた忌野清志郎が、表現者としていかに傷ついたのかが痛いほど伝わってくる文章が残っている。

俺は何度も苦い汁を飲まされた。作った歌が禁止されるのさ。あいにく俺の声が通る声で、とてもBGMとして聴き流せないからだ。聴く人が聴くと何らかの意味を持ってしまうらしい、俺にはカンケーないのに。

俺が友達だと思ってるレコード会社の奴らに、レコードにしてもらえないなんて、俺の気持ちを考えたことがあるかい?
俺が作ったんだぜ。

ぼくはいつでも、いっしょうけんめい歌を作ってるんだよ。才能があるから歌ができると思ってるかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ。

何のためにぼくの歌をレコードにしないのか、いつもよくわからない。
保身のため?
ヤオモテに立つのは歌ってる俺だぜ。君じゃない。
会社を守るためだとしたら、全く考えすぎとしか思えない。
メンドーをおこしたくない?
社長におこられるのが怖くて、僕の歌をボツにするのか?
まったくよくわからない。
本当はお前らをぶんなぐってやりたい気分なんだよ。
でも、がまんせざるをえない俺の気持ちを考えたことがあるのか?

笑わせんじゃねぇよ。
それでも俺は友達だと思ってるんだぜ。
できることなら、この胸を切り裂いて、どんな気持ちで歌を作ったのか、見せてやりたいよ。


今でも忌野清志郎の作った歌が時代を越えて人々の心に届くのは、表現者として音楽の力や純潔性を信じていたことと、観客やリスナーの音楽への愛に期待していたからだったと思う。

ほんとうの表現者はいつだってぎりぎりのところで、しばしば恐怖や絶望感におののきながらも、なんとか自らを奮い立たせて新しい作品に立ち向かっている。
だからこそ、身近で友達だと思っていた人たちに裏切られたときのやるせなさと無念が、しばらくは消えなかったのだろう。



<出典・ロックン・ロール研究所編「生卵 忌野清志郎画報」河出書房新社>

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