「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the DAY

ナット・キング・コール〜20世紀を代表する偉大なシンガーは、もともと“歌わないはずの”ピアニストだった

1965年2月15日、20世紀の音楽シーンに偉大な功績を残した男が、サンタモニカの病院で家族に看取られながら静かに息をひきとった。 14歳だった彼の次女は「自分…

TAP the SONG

浅川マキと寺山修司~美空ひばりが大好きだったことと、詩人であることが共通していた二人

寺山修司が知人の音楽プロデューサーだった寺本幸司に誘われて、銀座にあったシャンソン喫茶『銀巴里』に出かけたのは、1968年の秋口のことである。 その頃の浅川マキ…

TAP the NEWS

挫折を知る者の歌〜それはスポットライトではない

器用に生きれない人。挫折を味わったことのある者だからこそ唄える“歌”がある。彼らだけが知っている本当の優しさ、本物の強さを。そして“あの光”の正体を。 2010…

TAP the SONG

美空ひばり「愛燦燦」~小椋佳のデモテープを聴いて「シングルにしたほうがいい」と思ったことで誕生した人生賛歌

――ハワイのサトウキビ畑で働く農夫とその家族たち。夕方、収穫を終えた一家が馬車で家路をたどる。母に抱かれて眠る少女。突然の激しい夕立に小屋の軒先で雨を避ける一家…

Extra便

シャイな好青年だった高倉健はいつから寡黙で厳しい表情のストイックな男になったのか

スクリーンで演じた役のイメージがそうだったように、孤独の影をまとう男という生き方を貫いた高倉健は、私生活をまったく垣間見せないスターとして有名だった。 しかし訃…

TAP the STORY

唄を忘れたかなりやだった27歳の西條八十は、忘れた唄を思ひだして詩人となった

地主の息子で石鹸製造業や販売でも財を成した父親が亡くなったとき、西條家の全財産を相続したのは早稲田中学に通う学生だった17歳の西條八十だった。三男だったにもかか…

TAP the DAY

「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」と美空ひばりが歌った反戦と平和の歌

1974年に「一本の鉛筆」という歌が誕生したのは、1945年8月6日に原子爆弾によって焦土となった広島で、復興と平和をテーマにして始まった音楽祭がきっかけだった…

TAP the SONG

美空ひばりの「リンゴ追分」からジャズの匂いを感じたという中学生のかまやつひろし

1952年4月に民間放送のラジオ東京(現TBS)の開局を記念してオンエアされたラジオドラマ、『リンゴ園の少女』の挿入歌として作られたのが「リンゴ追分」である。 …

TAP the NEWS

浅川マキが愛した名曲〜ビリー・ホリデイの“奇妙な果実”を聴きながら

生前、浅川マキはステージでこの曲を歌う時に、こう呟いて唄いだすのだった。 「白人のリンチにあって、黒人が木に吊るされている。なんと奇妙な果実ではないか…」 19…

TAP the ERA 1989-2019

【平成企画序文】バブル経済やネット文化を吸収した日本の音楽30年史

平成(1989-2019)を駆け抜けた風景 2019年4月30日、31年続いた一つの時代が終わる。いや正確には、元号が新しくなるだけで劇的な変化は何も起こらない…

街の歌

テネシーワルツ物語・後編〜江利チエミが愛した歌、彼女を愛した高倉健

戦後間もない1947年頃、日本にはアメリカの文化が怒濤のように流れ込んできた。当時の若者たちは、アメリカの映画に熱中し、アメリカのポップ音楽に耳を傾けていた。ラ…

街の歌

Danny Boy〜アイルランドで生まれた珠玉のメロディーに込められた平和への願い

アイルランドの北西部に位置する港町、ロンドンデリーには“アイリッシュ”と呼ばれるケルト人の子孫が多く暮しているという。 この町名、350年ほど前までは単に“デリ…

Album Sweet で体験する

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