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無名の少年たちだったジャニーズを特訓してレギュラーに抜擢した伝説のディレクター末盛憲彦

2019.07.12

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ジャニーズがショービジネスの世界にデビューしたのは、NHK総合でオンエアされていたテレビ番組『夢であいましょう』への出演がきっかけだった。

日本のテレビ史に語り継がれる先駆的なこの音楽バラエティは、1961年4月8日から5年間にわたって毎週土曜日の夜に放送されていた。
<参照コラム>黒柳徹子がその独特な持ち味を発揮し始めた伝説の番組『夢であいましょう』

1958年から始まった日本テレビの『光子の窓』のほうが、音楽のバラエティ番組としては先輩だったが、この番組はアメリカの『ペリー・コモ・ショー』がお手本にしていた。

しかしNHKのディレクターだった末盛憲彦を中心とする若いスタッフたちは、アメリカの人気番組をコピーするのではなく、江戸っ子の粋でいなせな文化を受け継ぎながら、そこに都会的なジャズやポピュラー音楽、あるいは最新のダンスを組み合わせることを目ざした。

したがって毎回のテーマごとに短いコントをつないで、それをはさむようにしてレギュラー出演者の歌や踊りが、順に披露されるという内容になった。



目で楽しめる音楽を目指して曲ごとにセットを変えたのは、アイデアマンだった末盛の発案であった。
構成作家に永六輔、音楽監督に中村八大を迎えたのも、末盛の慧眼だったといえる。

永六輔が「何かの真似はしたくなかった」というように、オリジナルな点にこだわった『夢であいましょう』は、「今月の歌」のコーナーを設けて書き下ろしの新曲を発表していくことにした。

そして永六輔の作詞、中村八大の作・編曲による「上を向いて歩こう」(歌:坂本九)、「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)、「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)、「帰ろかな」(北島三郎)など、やがてスタンダード曲になる多くのヒットが生まれた。

まだ無名だったジャニーズの4人が”踊る少年たち”として、テレビに初出演したのは1962年8月4日の「今月の歌」からだ。
その日に初めて歌われた「いつもの小道で」は、まだ17歳でレコード・デビューをする前の新人歌手、田辺靖雄のために書かれたものである。

「いつもの小道で」
作詞:永六輔 作・編曲:中村八大

いつもの小道で目と目があった
いつものように目と目をそらせた
通りすぎるだけの二人のデイト

いつもの小道で手と手が触れた
いつものように 手と手ははなれた
通りすぎるだけの 二人のデイト


ジャニーズのマネージャーだったジャニー喜多川は、この番組に抜擢してくれたディレクターの末盛について、「スターの素質を見抜く目が抜群だったと思う」と語っている。

「今月の歌」の田辺靖雄の「いつもの小道」でのバックに男の子が要ると聞いてジャニーズを連れて行ったわけですが、「何か衣装を探しましょう」といって、一緒に銀座のデパートを一日中歩きまわったのです。
あんまり若いし、腰が低いので、アシスタントだと信じていたのですがスタジオに行ってみて、ディレクターだったので、本当に驚きました。
「今月の歌」のバックに出て、次の週のリハーサルの時に、前回のキネコを見た時、他の出演者達が「なあにこれ、なんて下手なの」といって笑いました。(注)
すると、その晩末盛さんはジャニーズに徹夜で練習をしてくれたんです、自分で歌いリズムをとりながら。
それで翌日の本番には、すこし良くなっていた。
そして次の週の為には一週間みっちり練習をしてすごく良くなった。
そして次の週、即ち一ヵ月後にはすっかり人気者になっていて、レギュラーになったのです。
忘れられないスタートです。


ジャニーズはそれからダンスとヴォーカルのレッスンを積み重ねて、日本で最初の歌って踊れるグループへと成長していった。
そして2年後の8月には「今月の歌」のコーナーで、”六・八コンビ”に書き下ろしてもらった「若い涙」を歌うまでになる。

1966年4月に『夢であいましょう』が終了すると、末盛は1年間の準備期間をかけて、新しい大型の音楽番組『音楽の花開く』をスタートさせているが、そこでもジャニーズを重用した。
1967年4月5日の朝日新聞にはそのことが、このように紹介されていた。

新しい音楽ショーの公開番組。三橋達也が司会、中村八大が音楽を担当、山本直純が指揮する東京ロイヤルポップス、東京混声合唱団らがレギュラー出演し、華やかに歌と演奏をくりひろげる。
きょうの曲目は「若い涙」(ジャニーズ)「春の歌」(中村邦子とクラリネット・鈴木章治)、「王将」(ロイヤルポップス)、「愛の賛歌」(越路吹雪)ほか。


ここでは司会者の三橋達也と越路吹雪、それをかこむように並んだジャニーズの写真が掲載された。
ジャニーズがこの段階で、一流のタレントと認められていたことがわかる。

自らジャニーズを特訓してレギュラーに登用した末盛は、その後もNHKの音楽番組における新分野の開拓者的な存在として、オーディションによって選んだ若者による『ステージ101』や、一人のスターにスポットを当てたワンマンショー形式の『ビッグショー』、タモリをレギュラー出演者に抜擢した『テレビファソラシド』などを手がけていく。



しかし1983年8月10日の朝、自宅で倒れて54歳で急逝してしまう。

その翌年、夫人で作家の末盛千枝子さんによって「テレビディレクター 末盛憲彦の世界」が、一周忌に私家版として出版された。



(注)キネコとはテレビの画面を16ミリカメラで撮影して記録したフィルムのことです。当時は生放送でビデオがない時代だったために、出演者も演出者も実際の画面を見られませんでした。そこでディレクターの末盛は前の週の番組を、リハーサルの前に見せることで出演者に勉強してもらっていたのです。
なお、本コラムは2018年8月10日に公開されました。またジャニー喜多川氏の発言は、「テレビディレクター 末盛憲彦の世界」からの引用です。

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