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井上堯之が作曲家としてスタートしたのは萩原健一が奮い立たせてくれたからだった

2025.03.26

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デビュー51年目を迎えた永遠のロッカー、萩原健一(ショーケン)のツアーがビルボードライブ東京で初日を迎えたのは2018年5月2日のことだ。

第1回目の公演が始まる前から、会場は静かな熱気に包まれていた。そこに流れるBGMはすべてボブ・マーリィの曲で統一されていた。そして「ノー・ウーマン、ノー・クライ」が終わったのをきっかけに場内が暗くなった。

雷のSEとともに、今度はローリング・ストーンズの「We Love You」が爆音で響きわたる。思い思いに黒の衣装で統一したバンド・メンバーがステージに登場し、それぞれの定位置につく。

最後に白いジャケットとパンツ、それにホワイトの靴というショーケンが落ち着いた足取りで、ステージに上がった。

この日のライブは伝説となったスーパーグループ、PYGの「自由に歩いて愛して」から始まった。「自由に歩いて愛して」は作詞が安井かずみ、作曲したのはバンドのメンバーだった井上堯之である。

ショーケンは2人のギタリストとともにギターを弾き、ときにはマラカスを振り、ハープを吹き、そしてシャウトした。

続く2曲目もまた、井上堯之の代表作ともいえる「愚か者よ」だった。だがその日、井上堯之が77歳の生涯を終えて帰らぬ人になったことを、その会場にいる観客たちはまだ知らなかった。(2018年5月2日、敗血症のために死去)

60年代後半に活躍したGSの人気バンド、ザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズのメンバーにより結成されたロック・バンドのPYGは、1971年4月にシングル「花・太陽・雨」でレコード・デビューを果たした。

当初のメンバーは以下の6人。

沢田研二(タイガース):ボーカル
萩原健一(テンプターズ):ボーカル
井上堯之(スパイダース):ギター
大野克夫(スパイダース):キーボード
岸部修三(タイガース):ベース
大口広司(テンプターズ):ドラムス


井上堯之は「スパイダース ありがとう!」という自伝のなかで、PYGを始めた時の気持ちをこのように述べている。

よりロック的でアンチ体制的な音楽を目指してPYGはスタートしました。それをバックで支えているのは芸能界で強大な影響力と資金を誇っていた渡辺プロです。大船に乗ったような気持ちで私たちはレコーディングに臨みました。

デビュー曲の「花・太陽・雨」は、レコーディングに費やした時間は実に100時間。録音方法も、ドラムセットにそれぞれマイクをセッティングするという、現在では一般的になっている方法をいち早く導入。テレビ番組の収録でも、そのセッティング以外では出演しない、という条件付きでした。

それは決してわがままではなく、ミュージシャン主導の制作へと、すべてのシステムを変えていこうとしていたのです。その先にあったのは、良いものを作りたいという一心でした。




そんな生真面目な思いと志でスタートしたPYGだったが、いざ活動を始めてみると、どこの公演会場でも集客に苦労することになった。

GS時代のファンからの支持が得られていないことがわかってきたのだが、それはまったく予想外だった。しかもお客が満杯になった野外のフリー・コンサートに出演すると、今度は「帰れ!」コールが浴びせられるばかりか、空き缶、空き瓶、ゴミがステージに投げ入れられた。

PYGが音楽的に目ざしていたニュー・ロックのコンサートでは、芸能プロに所属するスターたちへの妬みや偏見で、逆風が強かったのだ。井上堯之がこう語る。

「お前ら変わってない!」
「引っ込め!」
という客席からのやじに、ショーケンは
「うるせー!!」
と応酬して、演奏どころではありませんでした。


こうしてPYGは突破口を見つけられないまま、わずか半年間の活動で自然消滅せざるを得なかった。残ったのはスタジオ録音のアルバム『PYG!』と、2枚組のライブ盤だった。

沢田研二はソロの道を選び、ショーケンは俳優の仕事へと比重を移していった。

正式な解散宣言もない寂しい幕切れとなった後、PYGは井上尭之バンドという形でスタートすることになった。しかしミュージシャン主導による新しい音楽シーンを目指して、PYGを本気でやったことへの反動が大きくて、井上堯之は精神的にかなり落ち込んだと述べている。

そうした状態が続いていたときに、彼を奮い立たせてくれたのがショーケンだった。俳優として高い評価を得たショーケンが推薦してくれたことから、井上堯之にはテレビドラマや映画の音楽担当として活躍する道が開けたのである。

ドラマ『太陽にほえろ!』のテーマ曲と劇伴を引き受けると、キーボードの大野克夫が作曲と編曲を担当した。それを井上堯之バンドが演奏したことが、最初のブレイクの足がかりとなった。

その斬新なテーマ曲が視聴者の間で評判になり、予定になかったシングルが急きょ発売されてヒットし、サントラ盤のアルバムがロングセラーとなっていった。


井上堯之はその後、テレビドラマ史に残る傑作といわれる『傷だらけの天使』(主演:萩原健一)を筆頭に、倉本聰脚本の『前略おふくろ様』(主演:萩原健一)、向田邦子脚本の『寺内貫太郎一家』の音楽を立て続けに担当している。

その一方では映画の世界でもショーケンが主演した『青春の蹉跌』や『雨のアムステルダム』『アフリカの光』、沢田研二の主演による『太陽を盗んだ男』などの作品によって音楽家としての地位を築いていった。

数年にわたって務めていた沢田研二のバックを辞めて、井上堯之バンドを解散したのは1980年のことだ。
そこからは作曲家と編曲の仕事へとシフトしていく。しかし中島みゆきの傑作「ファイト!」の編曲などを手がけた後で、井上堯之はギターを弾くことを自ら封印してしまう。

それからは「いつ死んでもいいように、今日を限りに生きよう」という強い決意もとに、音楽家になるためにアカデミックな勉強も始めた。仕事があろうがなかろうがとにかく毎日、作曲を続けるという日々を過ごして、弦楽四重奏のオリジナルをサントリーホールで発表するまでになった。

1986年には映画『火宅の人』で日本アカデミー賞最優秀音楽賞、1987年には近藤真彦のために書いた「愚か者」が日本レコード大賞を受賞した。井上堯之はそこで初めて、達成感を味わったという。

自分はこれでやっと一人前の作曲家になれたのかなと思えた時、それは嬉しくて嬉しくて、こんなこんな私でも涙が止まりませんでした。


(注)本コラムは 2018年5月11日に公開されました。

〈参考文献〉井上堯之著「スパイダース ありがとう!」(主婦と生活社)、萩原健一著「ショーケン」(講談社)



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