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野心的な作品が大ヒットしたことで方向性がひとつに定まったグループ・サウンズ

2017.06.30

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テンプターズのヴォーカリストのショーケンは17歳の若さだったにもかかわらず、デビューする前からすでに表現者として直感と強い意志を持っていた。
だからデビュー曲に選ばれた「忘れ得ぬ君」について、自分にふさわしくないという理由で歌うことを最初から拒否している。

バンドのヴォーカリストなのにデビュー曲を歌わなかったというあたりは、まさに反骨精神に満ちたロック少年、危険な不良の面目躍如たるところがある。

そのために「忘れ得ぬ君」は作詞作曲した松崎が自ら歌うことになったが、新人としてはまずまずのヒットで十分に及第点をとることが出来た。
そしてショーケンが歌ったB面のカヴァー曲「今日を生きよう」も、A面をしのぐほどの人気が出て結果的にはうまくいった。



続けて出たセカンド・シングル「神様お願い」はショーケンが歌って大ヒットし、オリコンのチャートで2位になったことで人気が急上昇していく。
テレビ出演や雑誌への露出がふえるにつれて、テンプターズはスターを求めていたマスコミが持ち上げたこともあって、一挙にタイガースの好敵手という地位に押し上げられた。

そうなってくると、次に目指すのは1位しかないというのが、音楽業界の考え方である。
担当ディレクターだった本城和治がそのとき、まだ無名に近い若手のソングライターを起用することにしたのは、純粋に質の高いヒット曲を生み出そうとしての決断だった。

デビュー以来彼らのシングル作品はリーダーの松崎由治の作詞作曲でヒットさせてきた。しかし昨日までのアマチュアが常にヒット作を書けるという保証はない。前作の「神様お願い」もかなり悩んだ末誕生した作品だ。


白羽の矢が立ったのはギリシャ出身の新人女性歌手で「恋はみずいろ」がヒットしたヴィッキーに、セカンド・シングル「待ちくたびれた日曜日」を書いてもらったばかりだった新進作曲家、慶応大学の後輩にあたる村井邦彦だ。

後に「翼をください」などのスタンダード・ソングを書いた村井は、荒井(松任谷)由実の才能を発見してシンガー・ソングライターとしてデビューさせて成功に導くなど、プロデューサーとしても力を発揮したミュージックマンだ。

村井は「待ちくたびれた日曜日」でプロ・デビューしたが、ほぼ同時にモップスのデビュー曲「朝まで待てない」も手がけていて、どちらもまずまずのヒットになった。



本城は打ち合わせで村井に、「テンプターズの神秘性やミステリアスな雰囲気を、クラシックのドビュッシーみたいな感じで活かしたい」と伝えた。

彼はブルーコメッツの「ブルー・シャトウ」を聴いてこのくらいの曲なら僕にも書けると豪語した大学の後輩である。ジャズやボサノバに秀で、クラシックにも造詣が深い。二人で相談してフランス印象派のドビュッシー、ラヴェル、フォーレ等をヒントに神秘性のあるロマンティシズムと洗練されたサウンドを狙った。


若すぎてキャリアのない村井の抜擢に、周囲からは「20万枚を超えるような作家じゃないよ」と反対の声もあった。
しかし、本城はそれを押し切った。

作詞を依頼したのはなかにし礼、新しい時代の最先端の空気を切り取って見事に言葉にできる作詞家だ。
前年は黛ジュンの「恋のハレルヤ」の大ヒットを出して、レコード大賞では作詞賞をもらって、まさに脂が乗っているという状態にあった。

オリジナルの作詞を依頼したのはこれが初めてだが、デビュー・シングルのB面「今日を生きよう」の訳詞で、ショーケンの持っている不良生との相性がいいことはつかんでいた。

そしてドビュッシーみたいな感じのアレンジを依頼したのは、これも新進編曲家だった川口真である。
日本にエレキブームを巻き起こしたベンチャーズが作曲した「二人の銀座」や「北国の青い空」など、ベンチャーズ歌謡といわれるアレンジで頭角を現していた。

おとぎ話のようなロマンティックな曲調だったので、ショーケンは当初はあまり気乗りしなかったらしい。
だが、歌ってみて作品の素晴らしさを感じ取ったのであろう。

クラシカルで幻想的なヨーロピアンの雰囲気とエレキ・サウンドと、ショーケンの持っている本質である不良っぽさとロック・スピリッツが重なり合って、陰影が深くて格調を感じさせる楽曲が完成する。

ストリングス編曲に初めて川口真を起用したが期待に違わずハイセンスなサウンドで、特にホルンとオーボエの使用が従来の歌謡界にない奥行と深みのある新鮮な響きを生み出した。フィーチャーのショーケンのヴォーカルも魅力的でこのレコードは業界誌オリコンのチャートでザ・テンプターズとして初のまた唯一のNo.1ヒット(前作「神様お願い」はチャート2位)になった。




こうして人並外れた才能の持ち主、本城を筆頭に村井、なかにし、川口、ショーケンの5人がそろったことで誕生した「エメラルドの伝説」によって、グループ・サウンズのブームは頂点に達した。

しかし野心的な作品が大ヒットしたことによって、日本のグループ・サウンズのブームは良くも悪くも、はっきりと方向性が定まっていく。

村井のもとへは、すぐにタイガースから作曲の依頼があった。
それにこたえて加橋かつみがリード・ヴォーカルをとる「廃墟の鳩」を書いた村井は、グループサウンズの両雄を手がけることになった。

しかしこのあたりからグループサウンズは、ロックンロールやビートルズの根源にあった反骨精神や、バンドとして音楽を自分たちで追求する道ではなく、テレビの商業主義と手を取り合った芸能ビジネスに向かって走っていく。

ひとつの傾向が売れるとなると、全てがそこになびいていくのは日本人の群れる体質によるものなのだろうか。
どれも似たような歌ばかりが量産されたことで、グループサウンズそのものの寿命が縮っていくのは時間の問題だった。

やがてショーケンは音楽シーンに居場所を見つけられず、映画の世界に活路を見出していくことになる。

イギリスではその頃、ビートルズとローリング・ストーンズという両雄から、アンダーグラウンドのブルース・バンドにいたるまで、それまでになかった音楽の追求や、ブルースやトラディショナルなルーツミュージックの探求に向かい、やがて全世界に影響を及ぼす音楽革命が起こっていた。


本文中の本城和治氏の発言は大人のMusic Calendar『テンプターズ最大のヒット「エメラルドの伝説」はプロの作家チームの手によって生まれたものであった』(執筆者:本城和治)からの引用です。

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