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B-52’sの「ロック・ロブスター」を聞いて新たな時代がきたことを確信したジョン・レノン

2018.11.20

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ジョン・レノンが息子のショーンを連れ、ニューポートからバミューダ諸島へ向けての船旅に出たのは、1980年の初夏のことだ。

ショーンが生まれてからというもの、ジョンは子育てに専念するようになり、表立った音楽活動は休止させていた。
1975年のカヴァー・アルバム『ロックン・ロール』からは5年が、オリジナル・アルバムに関していえば1974年の『心の壁、愛の橋』から6年の月日が経過していた。
子育ても落ち着き、そろそろ音楽活動を再開させてもいい頃合いだった。

バミューダ諸島に着いたジョンは、ある日ダンスクラブで驚くべき音楽を耳にする。

「上の階ではディスコが流れていたから下の階に行ったら、突然B-52’sの『ロック・ロブスター』が聞こえてきたんだ。
分かるかい?まるでヨーコの音楽みたいなサウンドなんだよ」
(1980年 ローリング・ストーン誌のインタビューより)


1976年にアメリカのジョージア州で結成されたB-52’sは、仲のいい友人5人が酔っ払いながらセッションをしたら、予想以上に楽しかったという理由でスタートしたバンドだ。
そうした経緯からか、彼らの音楽はポップスやテクノ、パンクなどをごちゃ混ぜにした奇想天外なサウンドが印象的である。

「ロック・ロブスター」はB-52’sの最初のシングルとして1978年にリリースされた。
地元の小さなレーベルからリリースされたにも関わらず、次の時代を感じさせる新鮮なサウンドが支持され、レコードは2万枚を売り上げた。

これによって彼らは、ニューヨークのアンダーグラウンドで注目される存在となり、大手レコード会社のアイランド・レコードと契約を果たす。
「ロック・ロブスター」は1979年に再度レコーディングされ、新たにシングル・カットされると、デビュー・アルバム『B-52’s』とともにヒットし、隣国のカナダではシングルチャート1位を獲得している。ジョンが耳にしたのはおそらく新しいほうのバージョンだろう。


ジョンは妻であるオノ・ヨーコの歌と音楽が、世間から理解されていないことに不満を感じていた。
しかし「ロック・ロブスター」でのシンディ・ウィルソンとケイト・ピアソンの独特なコーラスを聞いたとき、ようやくオノ・ヨーコの音楽が受け入れられる時代がやってきたと確信したのである。

「それで自分に言い聞かせたんだ。古びた斧を持ち出して妻を呼び覚ます時が来たぞ、てね」


ジョンはすぐさまニューヨークにいるヨーコに電話をし、事の次第を報告した。

その年の11月にリリースされたジョン・レノンにとって5年ぶりのアルバム『ダブル・ファンタジー』は、ジョンとヨーコの連名で発表され、2人の曲が交互に並ぶ構成になっていた。

もしもジョンがB-52’sを耳にしていなかったら、『ダブル・ファンタジー』は全く違っていたものになっていただろう。

2002年にはB-52’sのステージにオノ・ヨーコが登場し、両者による「ロック・ロブスター」が実現している。





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