1980年の12月8日。
その日は、いつもと同じような月曜日になるはずだった。僕が暮らしていた学生寮の4階の部屋の窓がスチームで曇るようになってからは、夜になると隣の部屋のラジオからは決まって、マンデー・フットボールの実況が聞こえてきた。
その夜の試合は、ニューイングランド・ペイトリオッツ対マイアミ・ドルフィンズで第4クオーターの終盤となっても、13対13と拮抗していた。
その時だった。
「ハワード、我々が放送席で知ったことを伝えなければなりません」
放送ブースのフランク・ギフォードは、ハワード・コーセルに言った。
「はい。お伝えしなければなりません。誰が勝とうが負けようが、これは単なるフットボール・ゲームだということを忘れてはなりません」とハワードは続けると、厳粛にこう告げた。
「口にするのもはばかれるような悲劇がニューヨークのABCニュースから伝えられました。ビートルズのメンバーの中でもおそらくもっとも有名であろうジョン・レノンが、ニューヨーク・ウエストサイド・マンハッタンのアパートの外で、背後から2発の銃撃を受け、ルーズヴェルト病院に搬送されましたが、到着と同時に死亡が確認されたとのことです。このようなニュース速報の後、試合に戻ることはできません」
確かにその通りだった。各ラジオ局はジョンの曲をかけ始めたし、寮のいくつもの部屋からも、ジョンやビートルズのレコードをかける音が聞こえてきた。
♪イマジン
天国などないのだと
やってみれば簡単さ
僕らの下に地獄はなく
僕らの上にあるのは
空だけだ♪
どういうわけか、「イマジン」ばかりが聞こえてきた。それはみんながその曲をジョンの代表曲だと思ったのか、それともその状況に合った曲だと思ったのかは僕にはわからなかったが、少なくとも、その歌詞が悲しみを増す作用をもたらすことは確かなようだった。
「天国も地獄もないって。。。ジョンはどこに行くんだろうな」と、誰かが言った。だが、誰も答えなかった。
誘い合わせたわけではないのだが、僕らは気がつくと、ダイニング・ホールに向かった。ダイニング・ホールでも誰かが持ち込んだラジオが「イマジン」を流していた。
♪イマジン
国なんてないんだと
難しいことじゃない
殺す意味も死ぬ意味もない
宗教だってないのさ♪
「お前らの国から、しこたまドルを掠め取っていった奴が死んだんだぜ。嬉しくないのかよ」
今でいったらチャイナ・マネーなのかも知れないが、1980年当時はオイル・マネーが世界を席巻していた。中東からやってきた留学生のグループが笑った。
「その小汚い口を閉じろ。でなきゃ、失せろ!」と、誰かが叫んだ。
♪僕は夢想家だと
君は言うかも知れない
でも
僕一人ではないんだよ
いつの日か君も
僕らの仲間になってほしい
そしたら世界は
一つになるのさ♪
ジョンの死からどれほどの時が経ったのだろう。
相変わらず、今日も人々は今日を生き、争いを繰り返している。おそらくだからこそ、ジョンのこの歌は、いつまでもこの世界に流れることになるのだろう。
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