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オーネット・コールマンを偲んで〜新しいジャズ=フリージャズを創り出した革命家の偉業〜

2017.06.11

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2015年の6月11日の朝、従来のジャズの演奏スタイルを覆した“ジャズの革命家”がニューヨークのマンハッタンで死去した。
家族の代理人によれば、死因は心不全。85歳だった。
その訃報を受けて、ジム・ジャームッシュ監督の『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『ダウン・バイ・ロー』、ヴィム・ヴェンダース監督の『パリ、テキサス』、デヴィッド・リンチ監督の『ワイルド・アット・ハート』などへの出演でも知られる俳優にして音楽家のジョン・ルーリーが自身のFacebookに追悼文を綴った。

まだ私がサックスを吹き始めた頃に、オーネット・コールマンを知ったわけだけど、彼には元気づけられた。
こっちなら行けるって道を俺に示してくれたんだ。
私はウースターの公共図書館でジャズに関するものならなんでも探しまくって、彼とセシル・テイラーについての本を見つけた。
どういうわけか、オーネットが言ってたこの言葉が俺から離れなかった。
“失敗してもいいんだって分かった時に、だったらやれるって思った”
この言葉が深く刺さったんだ。
うん、まったくその通り。
自分以外の誰にも分かんなくたって、こんなのただのメチャクチャじゃないかって思われたって、間違ってもいいんなら何ものかには近づける。


自由気ままにアドリブを繰り広げているように思えるジャズにも、実は伴奏とソロの区別や、予め決められたフレーズの長さやコード進行などのルールがちゃんと存在する。そんな“ジャズの約束事”を無視して、自分の思ったままに演奏し、新しいジャズ=フリージャズを創り出した天才が1950年代末に出現した。
オーネット・コールマン。
アメリカ合衆国テキサス州フォートワース生まれのアルトサックス奏者だ。
アルトサックスの他にもトランペットやヴァイオリンもこなし、1960年代〜70年代初頭に黄金期を迎えた“フリージャズの時代”を牽引した人物である。
彼のアドリブラインには旋律があり、ハーモニーがあった。
1959年にアルバム『The Shape of Jazz to Come(ジャズ来るべきもの)』を発表し、賛否両論を巻き起こした。


「これはジャズなのか?」「破壊の音楽なのか?」と、当時は彼の音楽を理解できる人は少数派だったという。
1961年にリリースしたアルバム『Free Jazz』では、彼が率いる8人のミュージシャンが2つのグループに別れ、誰彼なく自発的に旋律を奏でたり、合いの手を入れたりと、延々40分間にわたってフリーな演奏を続けたというから驚きだ。


しかし彼が無視したのは、いわゆる西洋音楽のルールだけで、自らのアイデンティティ=黒人音楽の内なる声には忠実だった。
彼の演奏には心の底から湧き出すようなメロディーがあり、その何ものにもとらわれない旋律は、音楽的にも社会的にも“自由”を希求するメッセージそのものだった。
1970年代後半からはエレクトリックジャズの領域にも手を染め、“フリーファンク”とも呼ばれるファンキーなアルバムを制作した。
この頃に“ハーモロディクス理論”という独自の理論を考案する。
1991年には、ウィリアム・バロウズの長編小説を映画化した『裸のランチ』の音楽にも参加。
2001年には、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。(ジャズミュージシャンでこの賞を受賞しているのは彼とオスカー・ピーターソンのみ)
2007年には、ピューリッツァー賞、グラミー功労賞を受賞。


──最後に、作家の村上春樹が綴った印象的な言葉をご紹介します。

昔、ヴェトナム戦争が続いていたころ、煙草の煙がたちこめる新宿あたりのジャズ喫茶では、多くの若者が眉をひそめて息を凝らし、真っ黒なJBLユニットから大音量で叩き出されるオーネット・コールマンの音楽に聴き入っていた。
まるでその音符の暗号的洪水の中から、重要なメッセージを摑みとろうとするかのように。
当時、オーネット・コールマンを聴くという行為には、大江健三郎を読んだり、パゾリーニの映画を見たりするのと同じような、特殊な肌触りがあった。


<引用元『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)/村上春樹・和田誠著>




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