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追悼・遠藤賢司~確固たる意志を持って”純音楽”をめざした孤高の一匹オオカミ

2023.10.23

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1969年10月28日、お茶の水にあった全電通会館ホールで日大闘争救援会が主催するコンサート『ロックはバリケードをめざす』が開催された。
出演したのは遠藤賢司、早川義夫、ばれんたいん・ぶるーなどである。

後にはっぴいえんどと名前を変える「ばれんたいん・ぶるー」は、まだ結成されたばかりでこれがデビュー・ライヴとなった。
細野晴臣と松本隆が音楽の勉強会で仲間になっていた大滝詠一と、新しくバンドを始めるにあたって、リード・ギターが必要だということで高校生だった鈴木茂が加わり、ロックバンドのばれんたいん・ぶるーが誕生した。

当時はモビー・グレープやバッファロー・スプリングフィールドをかなり忠実にコピーしていたが、オリジナルの「12月の雨の日」なども楽曲としては出来ていたという。
しかしバンドとしてはまだ練習不足だったために、演奏に関しては自信を持てなかった。

細野晴臣が著書のなかで、その日々のことについて述べている。

その頃は、ぼくがマネージャーをやってたの。『ロックはバリケードをめざす』っていうコンサートの仕事が入ってきて、「ギャラはいくらいるか」って聞かれたから「そんなにはいらないだろう」って答えたり。頼りないマネージャーだったんだよね。
そのコンサートに出たんだけど、後味が悪くてね。ようするに、ステージが上手くいかなかったの。自分たちの自信や野望とはうらはらに、表現力のなさに失望してしちゃった。これはゲンが悪いからと思って、グループ名を「はっぴいえんど」に変えることにしたのね。
(前田 祥丈著「音楽王 細野晴臣物語」シンコーミュージック)


彼らはこの日、松本隆(ドラムス)と細野晴臣(ベース)、鈴木茂(ギター) の3人で遠藤賢司のバックを引き受けていた。 
そして「夜汽車のブルース」では、大滝詠一も大正琴を弾いて演奏に参加している。
遠藤賢司によれば大滝詠一とは、これが”最初で最後の共演”になったという。

年が明けた1970年3月5日、六本木の自由劇場で開かれた『第一回東京ロックンロール・アンサンブル』でも、彼らは再び
共演して遠藤賢司のバックを引き受けている。

遠藤賢司のファースト・アルバム『niyago』のレコーディングが始まったのは、その翌日からで場所は麻布のアオイスタジオである。
レコーディングには大滝詠一以外のメンバーが参加したが、それは遠藤賢司からの希望だった。

細野晴臣は遠藤賢司の「夜汽車のブルース」について、「これをバンドでやれば日本語のロックバンドができる」と思ったという。

はっぴいえんどに改名して、同じアオイスタジオでレコーディングを始めるのは3月18日のことだ。

遠藤賢司の存在と表現方法が、日本のロックの黎明期に与えた影響が大きいことは推して知るべしである。

後年になって大滝詠一は「日本語のロックは遠藤賢司から」と語っている。

茨城県ひたちなか市出身の遠藤賢司が幼い頃にレコードで聴いた音楽体験のなかで、特によく覚えていたのは1956(昭和31)年に三橋美智也が放ったヒット曲の「母恋吹雪」だった。
それに少し遅れて、エルヴィス・プレスリーのロックンロールや、ペレス・プラード楽団のマンボを聴いたという。

遠藤賢司はその頃からジャンルに関係なく、自分の好きな音楽を求めて生きることで、”純音楽”へと至る歩みが始まっていたのかもしれない。

東京の大学に入って音楽活動を始めた頃に、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聴いて、「これならおれにもできる」と自作自演の曲づくりを始めた。

そして次第に日本人であることを意識するようになった頃に、”純音楽”という概念にたどり着いたのだった。

二葉亭四迷の「言文一致運動」っていうのがあったけど、今おれが考えているのは、「言音一致」ってこと。今の若いバンドは音をガーンと出すことに躍起になっているけど、本当のの音楽っていうのは言葉が同次元にないと駄目だと思うんですよ。
そういうのが自然と自分の中からわき出たものが純文学ならぬ純音楽だと思うんですね。
(「日本のポピュラー史を語る 時代を映した51人の証言」シンコーミュージック)




2015年5月6日、NHKのラジオ番組『大友良英の音楽とコトバ~STRANGE TO MEET YOU!』に出演するにあたって、遠藤賢司は事前に番組からの求めに応じて、本に関してと、曲に関してのメッセージを寄せていた。
そこには純音楽家を名のって音楽一筋に生きた彼の信念が、言葉で明記されているので紹介したい。

音楽も本も、人生の転機とか、指針となったのは、ひとつもありません。
誰に請われた、わけでもないのに、自身が好きで、始めたことが、好きだからこそ、
死にたくなるほどの苦難を乗り越え、努力する男女は、唯の、快き競争相手です。
努力は才能なんてす。主婦、サッカーなどのスポーツ、町工場の職人、音楽家、作家、映画監督、ほんとに等等、仕事の職種に関わらず、努力する、つまり、才能ある人は、もっと言えば、生きるに、努力する犬も猫も、唯の、快き競争相手です。ほんとに、ただ、それだけです。


そして曲については簡潔にこう述べていた。

言葉は音楽!英語を始め外国語で歌われる曲はもう沢山。簡略化された象形文字=漢字と仲を取り持つ平仮名と片仮名による言音一致の純音楽を聴く!


その後にはあらゆるジャンルに渡って、彼が選んだ80曲もの楽曲が明記されていた。
最初は日本の純音楽で、20世紀に活躍した日本の作曲家の作品が並んでいる。

●早坂文雄「左方の舞右方の舞」
●黛敏郞「七人の奏者によるミクロコスモス」
●山田耕作「曼陀羅の花」「長唄交響曲〈鶴亀〉」
●佐藤勝 映画主題曲「雨あがる」「用心棒」
●外山雄三「管弦楽のためのラフブソディ」
●芥川也寸志「赤穂浪士」
●武満徹「ノベンバーステップス」
●吉松隆「朱鷺にささげる哀歌」
●近衛秀麿編曲版「越天楽」

次に自分と同世代のはっぴいえんどを筆頭に、新旧とりまぜて10数曲が並んでいる。

●はっぴいえんど「空色のくれよん」
●はちみつぱい「塀の上で」
●ジャックス「君をさらって」
●岡林信康「チューリップのアップリケ」
●吉田拓郎「純ちゃん」
●四人囃子「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」
●頭脳警察「悪たれ小僧」
●サニーデイサービス「ここで逢いましょう」「若者たち」
●湯川潮音「裸の王様」
●クレイジーキャッツ「スーダラ節」
●大友裕子「歩けないの」
●山崎ハコ「心だけ愛して」
●クラウスノミ「サムソンとデリラ」
●郷ひろみ「男の子女の子」
●松田聖子「赤いスイトピー」

さらに映画とテレビの音楽中心の楽曲が続く。

●大友良英 ドラマ主題曲「あまちゃん」
●山田洋次監督 池田正義音楽 映画『いいかげん馬鹿』のテーマ曲「ふるさと」
●古関 裕而作曲 NHKラジオ「ひるのいこい」テーマ曲
●小沢征爾さんより山本直純と外山雄三
●小川寛興「おはなはん」
●吉松隆「朱鷺にささげる哀歌」
●ELP「タルカス」
●寺内タケシ「運命」「津軽じょんがら節」
●アルトゥーロ・ミケランジェリ「クロード・ドビュッシー」
●冨田勲「雪は踊ってる」(ALBUM「月の光」のなかより)

そこからはもう、アトランダムに楽曲が次々に出てきて壮観とさえ思える。

●三橋美智也「母恋吹雪」
●小林旭「さすらい」
●吉田拓郎「純ちゃん」
●NSP「夕暮れ時は寂しそう」
●吉幾三「津軽平野」
●大友裕子「歩けないの」
●鳥羽一郎「兄弟船」
●アルフレッド・デラー(カウンターテナー)「歎きの歌」ヘンリー・パーセル作
●中森明菜「トワイライト」
●サム・テイラー「ハーレム・ノクターン」
●伊福部昭「日本狂詩曲」【夜想曲 】【祭り】
●こまどり姉妹「ふたりぼっち」
●原マスミ「夜の幸」
●五月みどり「コロッケの唄」
●神無月「愛しているのかな」
●アメリカのテレビ主題歌「じゃじゃ馬億万長者」
●畑中葉子「後から前から」
●天童よしみテレビ漫画「いなかっぺ大将」の主題歌【大ちゃん数え歌】
●白石冬美「おれは怪物くんだ」
●ポール・モーリア「恋は水色」
●リチャード・クレイダーマン「愛のオルゴール」
●モーター・ヘッド「ゴーイング・トゥ・ブラジル」
●MC5「KICK OUT THE JAMS」
●モーリン・タッカー(ベルベット・アンダーグラウンド)「アフター・アワーズ」
●アリス・クーパー「エイティーン」
●イギー・ポップ「フィーバー」
●ブラック・サバス「ウォー・ピッグス」
●ニール・ヤング「アイ・アム・ア・チャイルド」
●人間椅子とゆらゆら帝国の全曲
●フラワーカンパニーズ「深夜高速」
●くるり&サニーデイサービス「東京」
●ばってん荒川「帰らんちゃよか」
●タイムスリップ「小平の女」
●グループ魂「君にジュースを買ってあげる」
●外山雄三「管弦楽のためのラプソディ」
●芥川也寸志 作曲「赤穂浪士」
●武満徹「ノヴェンバー・ステップス」
●黛敏郞「七人の奏者によるミクロコスモス」
●阿部薫「暗い日曜日」「アカシアの雨がやむとき」
●三浦環「庭の千草」(里見義訳詞、ムーア作曲)
●ちあきなおみ「紅とんぼ」
●北島三郎「なみだ船」
●青江三奈「眠られぬ夜のブルース」
●ツボイノリオ「金太の大冒険」
●戸川純「隣のインド人」「蛹化〔ムシ〕の女」
●遠藤ミチロウ「午前0時」

遠藤賢司は孤高であることをおそれず、最初から誰ともつるまずに最後まで一匹オオカミで通した。
言音一致を目指し、音楽ですべてを語るという確固たる意志を持ち、ブレることなく生涯を全うした稀有な表現者だった。

最後に、自作の代表曲「カレーライス」について語った言葉を記して終わりたい。

「カレーライス」って、おれが書いた完全に自分個人のことだけを歌った曲があるんだけど、そっちのほうがよっぽど自由を訴えてると思うんだ。
(「日本のポピュラー史を語る 時代を映した51人の証言」シンコーミュージック)



(注)本コラムは2017年10月28日に公開されました。
〈参考文献・村田 久夫 (編集), 小島 智 (編集)「日本のポピュラー史を語る 時代を映した51人の証言」シンコーミュージック〉







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