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激しい雷雨で伝説となった後楽園球場のグランド・ファンク・レイルロード来日公演

2023.07.16

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日本のロック伝説のひとつとして今なお語り草になっているのが、雷鳴が轟く豪雨の後楽園球場で行なわれたグランド・ファンク・レイルロードのライブである。

それは1971年のことだった。
この年は2月にブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ(BS&T)、4月にフリー(FREE)、6月にはシカゴ(CHICAGO)がそれぞれ初来日を果たしていた。

その後も箱根・芦ノ湖畔の野外イベントにピンク・フロイド(PINK FLOYD)が出演し、レッド・ツェッペリン(LED ZEPPELIN)も来日公演を行った。
1971年は日本のロック元年と呼べる、モニュメンタルな年になったのだ。

音楽ジャーナリズムを掲げて1969年にロック雑誌「ニューミュージック・マガジン」を創刊した中村とうようは、このことについて「日本のロックはシカゴ来日”以前”と”以後”に分けて考えなければならないようになるのではないか」という言葉を残している。

そうした流れの中で7月17日、「ロック・カーニバル#6」が後楽園球場で開催された。
当日の出演者は日本からモップス、カナダからマッシュ・マッカーン、アメリカからは麻生レミという面々だった。
そしてヘッドライナーとして出演したのが、グランド・ファンク・レイルロード(GFR)である。

アメリカで活動していた麻生レミはこのライブために帰国して注目を集めたが、バンド”WYND”のメンバーに入国ビザが降りなかったので、急遽PYGのメンバーだった井上堯之の大野克夫、元サムライの山内テツ、原田裕臣がスーパー・バンドを組んで出演した。
演奏曲目は「ジャニスの祈り」「ミー・アンド・ボビー・マギー」等、ジャニス・ジョプリンのカバーが中心だった。

「霧の中の二人」がヒット中だったマッシュ・マッカーンの演奏が終わる直前に、球場内に突風が吹いてステージ前に設置されたGFRの大きな看板が吹き飛ばされた。
それが嵐の一夜となる前触れだったのかもしれない。

午後8時頃から突如として夜空に雷鳴が轟き、強い雨が激しく降り始めた。

雨に打たれても聴衆はどこにも逃げ場がなく、ずぶ濡れになりながら待つことになった。
そしてついには雹まで降ってくる中で、グランド・ファンク・レイルロードの登場を待ち続けた。

場外では外野の指定席エリアの当日券を手に入れられなかったファンが「外野席はまだ空いているじゃないか…」と、力づくで入り口へ突入を試みて、警官と消防車が出動する混乱が起きていた。
チケットを買えなかったファンが騒ぎ、球場のゲートをこじ開けて乱入してくるとか、暴動が起こっているという噂が、観客の耳に入ってくる。

そのまま中止になるのか、それとも雨の中で再開できるのか。

天候が回復する気配はなく、もはや中止かと諦めモードが強くなった。
そのとき、オールナイト・ニッポンのDJ糸居五郎の声がスピーカーから聴こえてきた。

皆さん~!Grand Funk Railroadは演奏を必ずやるといっています。もう少し待ってください。


その声に触発されて元気づけられた観客の中から、映画「ウッド・ストック」のように「No Rain、No Rain」の声が上がった。
それがスタジアム中に伝わって大合唱になった。

「Grand Funk Railroad は必ず出演します」というアナウンスの中で辛抱強く待ち続けた観客の前に、マネージャーであるテリー・ナイトが現れたのは午後9時半、本来ならば終演予定の時刻になっていた。

司会の糸居五郎の紹介でステージに上がったテリーが、「Grand Funk Railroad is here now!!」と叫んで観客を煽った。
客席からも「We want Grand Funk!!」のコールがまき起こる。

そこへリヒャルト・シュトラウス作曲の「ツァラトゥストラはかく語りき」が爆音で流れ始めたところで、ついにGFRが一塁側のダッグ・アウトから走って出てきた。
マーク・ファーナーは、すでに上半身裸だった。

稲光の中で「アー・ユー・レディー(Are You Ready)」の演奏が始まった。

途中からまたしても大量の雨が降って来たが、激しい雨に打たれながらもGFRは演奏を続行した。
「ハートブレーカー(Heartbreaker)」では観客も一緒になって、大合唱するという場面もみられた。

3万5000人の観客が熱狂に包まれた激しい雨の一夜は、午後10時40分に最後の曲「孤独の叫び(Inside Looking Out)」で終演を迎えた。

ひたすらパワーで押しまくるというGFRのライブは約1時間、期待に違わぬ熱演で日本のロック伝説として語り継がれることになった。


(注)本コラムは2015年2月21日に公開されました。


グランド・ファンク・レイルロード『ライヴ・アルバム』
EMIミュージック・ジャパン

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