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【スペシャルインタビュー】パディ・モローニ(ザ・チーフタンズ)──山口洋からの4つの質問 前編

2023.10.10

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パディ・モローニ──アイルランドの国宝級バンド、ザ・チーフタンズのフロントマン。
1962年の結成以来、彼らは様々なジャンルの音楽との融合を通じて、
アイルランド伝統音楽の魅力とケルト文化の深みを世界中の人々に伝えてきた。
自らの50年以上にも及ぶ活動を「素晴らしい音楽の旅路」と語るパディ・モローニ。
そんなアイルランドの音楽を源流とする男、HEATWAVEの山口洋が彼のもとに向かった。


聞き手/山口洋(HEATWAVE)
構成・文/TAP the POP
取材協力/川島恵子(プランクトン)
アイルランド風景撮影/山口洋(HEATWAVE)

【スペシャルインタビュー】パディ・モローニ(ザ・チーフタンズ)〜山口洋からの4つの質問・後編

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この50年は自分にとって音楽の旅路。そして素晴らしいミュージシャンに恵まれた。

Q1──今、日本でミュージシャンでいることはかなり難しいんですが、50年間という途方もない長い間、パディさんが音楽を続けることができた原動力とは何でしょう?

キーワードはマッドネスとミラクルだよ(笑)。50年の道のりは、自分にとっては素晴らしい音楽の旅路だったと思ってる。最初の頃はバンドというものをまとめ上げるのは大変でね。マット・モロイがチーフタンズにとっては母親的な存在なので、彼になだめられながら頑張ってきた。世の中には浮き沈みがあるし、人が集まる時も集まらない時もあるだろう?それを踏まえてやってきたんだ。

グループをまとめていく上でこだわったのは、自分たちの特技はなんなのか?ということ。僕らにとってそれはトラディショナルなアイリッシュ・ミュージックを奏でることだった。それを一つのアンカー(錨)として、しっかりと下ろしておくこと。そしてその周辺でいろいろなことに挑戦していくことだと思う。

運営的には、バンド内のデモクラシーが大切だね。みんなの意見を取り入れていきたいんだけど、物事を前に進めていくためには「明日はこれをやる。レコーディングはこうする」と、自分の意思で引っ張っていかなければならない部分もある。そういう意味で、僕はこのバンドのガイド・パーソンだったと思っている。いろいろなことを成し遂げてきたし、その中では新しいアイディアをどんどん考えて、それを推進力として前へ進めてきた時期もあった。問題が起きた時は焦らずにじっくり考えて、状況を変わるのを待つ時もあった。

そして何より恵まれているのは、素晴らしいミュージシャンと一緒に活動できたことだね。結成当初からオリジナル・メンバーとして参加していたショーン・ポッツやマイケル・タブラディ、残念ながら3週間前に亡くなったマーティン・フェイ、10年前に亡くなったデレク・ベル……哀しい別れもたくさんあったけれど、デレクが亡くなった後にはトリーナ・マーシャルという、デレクに本当にそっくりな抑揚で弾く、演奏スタイル的にもよく似たハープ奏者と出会うことができたんだ。

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派手な演出も踊りもなく、ただ音楽だけで勝負した。あの時、ミュージシャンとしてやっていく自信がついた。

Q2──これだけの長い旅路の中で強く印象に残っている、忘れられない風景を教えてください。

チーフタンズがフルタイムで活動しようと決めるまでに、実は12年ほどかかっているんだ。当時、政府の仕事をしていたメンバーが二人いてね。バンドの活動がある時には、僕が彼らの役所の上司に直々に掛け合って許可をもらいに行き、チーフタンズの活動にあててもらっていた。僕自身も当時はクラダ・レコードの重役も兼任していたので、それぞれ昼間は仕事をしながらの活動が長く続いたんだ。

そんな僕らが初めてやった大きなコンサートが、1975年のロンドンでのロイヤル・アルバート・ホール。これが告知3週間でソールド・アウトになって、当時の僕らの音楽は歌もなかったし、ローリング・ストーンズやビートルズが使っていたようなスモーク演出もなかった。ただ6、7人のオヤジが集まって、銀行員のような恰好でネクタイを締めて、半円形に椅子を並べて演奏してね。踊りもなくひたすら演奏して、音楽だけで勝負するんだけど、もの凄く喜ばれた。2時間ほどのコンサートだったけど、アルバート・ホールの観客みんなが踊ってる風景を見て、ショーン・ポッツが感動して、僕のところに抱きついてきて泣いていたのを覚えてる。その時だよね、自分たちも自信を持ってフルタイムのミュージシャンとして活動していこうと、やっとメンバーに対して宣言できた。それからは海外からもオファーがたくさん来るようになって、ポリグラムやアイランドとのレコード契約も生まれた。

あとは、1979年にアイルランドにローマ法王が来た時、135万人を前にして野外で演奏したことかな。法王が入場してくる前に10分ほど演奏したんだけど、ほとんどのアイルランド人がそこに集まっていただろうっていうぐらいの大観衆の前で演奏して。しかも世界中にテレビ中継されたので、たくさんの人に観てもらえたよ。

それから1974年にニューヨークで演奏した時に、ヘンリー・マンシーニが観に来てくれたことも覚えてるよ。「あ、ピンクパンサーの人だ!」って(笑)。いわゆる有名人たちが僕らの音楽を好きになって見に来てくれることに驚かされる時期もあった。実は今回、日本に滞在している間にテイラー・スウィフトが僕らにサインしてくれたCDを献上してくれたんだ。世界中で人気のアメリカの歌手だけれど、わずか24歳でウクレレも弾くんだよね。そういう若いアーティストにも好きでいてもらえるのは嬉しいことだね。
(明日の後編へつづく)

*このインタビューは結成50周年公演として来日した2012年12月6日に行われました。

【スペシャルインタビュー】パディ・モローニ(ザ・チーフタンズ)〜山口洋からの4つの質問・後編

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パディ・モローニ
1938年アイルランドの首都ダブリン生まれ。ザ・チーフタンズの敏腕リーダー/イーリアン・パイプ、ホイッスル担当として、1962年の結成以来50年以上にも渡って、アイルランド伝統音楽の魅力を世界中に広めてきたプロデューサー/コンポーザー/アレンジャー。現在まで40枚以上のアルバムを制作、映画音楽も多数こなし、アカデミー賞/グラミー賞7回受賞。最新作は『Voice Of Ages』(2012)。日本には1991年の初来日。2012年で10回目の来日を果たしている。

山口洋(やまぐち・ひろし)
1963年福岡県生まれ。1979年HEATWAVEを結成。ヴォーカル/ギターのフロントマンとして、ほぼ全曲の作詞作曲を担当。山口洋名義のアルバムとして、阿蘇でレコーディングした『made in ASO』(2007)や、宮城県白石市のカフェでライヴ録音した『Live atCafe Milton』(2009)がある。2011年には細海魚との共作『SPEECHLESS』を発表。また、ポール・ブレイディ、ドロレス・キーン、ドーナル・ラニー、シャロン・シャノン、キーラ、リアム・オ・メンリィなど、アイルランドを代表するミュージシャンとの共演も多い。東日本大震災以降は、福島県相馬市の人々たちと共に復興に取り組むプロジェクト「MY LIFE IS MY MESSAGE」を主宰。
オフィシャルBLOG:ROCK’N’ROLL DIARY





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