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追悼・石坂敬一~『原子心母』の帯に書かれた名文句「ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり!」

2017.01.06

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1960年代後半に洋楽マンとしてのキャリアをスタートさせた石坂敬一は、東芝音楽工業株式会社(東芝レコード)へ入社してまもなくビートルズ担当のアシスタントとなり、ピンク・フロイドやT・レックスなどを担当して数々のヒット作を手掛けた。

ビートルズに関していえば、リアルタイムより少し遅れてベスト・アルバムの『ザ・ビートルズ 1962-1966 』と、『ザ・ビートルズ 1967-1970』を大ヒットさせた功績が特筆される。
大学3年の時に開催されたビートルズの来日公演を、一人の観客として武道館で観ていた石坂はその後、自分の使命は「もっと多くの人、とくに若い人に伝えること」にあると意識するようになったという。

そうした強い思いがあったからこそ「赤盤」「青盤」と呼ばれたベスト・アルバムが1973年に発売された時、日本の担当ディレクターとして記録的なセールスに押し上げることが出来たのだった。
ビートルズは真の意味で、日本でもっとも愛されるバンドのひとつになった。

石坂は学生時代に培った膨大な洋楽の知識をもとにして、印象に残るだけではなく深い意味を感じさせる邦題をつけることで、「日本の洋楽」を定着させることにも努めた。

わたしは、日本人が理解して、魅力を感じられるように方向づけをするのが洋楽マンの仕事だと思っていました。


そこでは常にあらゆる意味での翻訳作業を求められたから、必要な勉強も半端なものではなかった。
石坂はジャンルを越えてあらゆる音楽を聴くように心がけ、内外を問わず文学や美術にも目を配って学んだ。

ビートルズが登場してブリティッシュ・インヴェイジョンが起こり、日本でもイギリスのロックが主流になりつつあった1960年代の終わりに、東芝レコードの株主でもあった英国EMIの中に、アンダーグラウンド出身の音楽を扱うレーベル「ハーベスト」が発足した。

ブリティッシュ・ロックを担当し始めたばかりの石坂のなかで、ディープ・パープルやピンク・フロイドがいるレーベルが持つ存在感は、ときとともに相対的に大きくなっていったという。

ピンク・フロイドって、聴くと、かなりきれいな音楽なんですね。そこに、破壊的な主張が込められている。


石坂が行ってきた翻訳作業のなかには、アーティストによって音楽に込められた主張を、タイトルの邦題からも伝えることによって、少しでも理解しやすいようにする仕事が含まれていた。

なんとかしてピンク・フロイドを日本でも売りたい、そんな純粋な動機から生まれてきたのが『Atom Heart Mother』(1970)を、「原子心母」と漢字に置き換えた名タイトルだ。

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しかも1970年に発売された日本盤LP『原子心母』の帯には、「ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり!」という、印象的なキャッチコピーがつけられていた。

やがて『原子心母』が異例のロングセラーを記録したことから、”プログレッシヴ・ロック”という新たなジャンルが生まれてくる。

「プログレッシブ」とは「先進的」とか「前衛的」という意味だが、プログレッシブ・ロックという場合にはアルバム全体や楽曲などが、他とは一線を画しているという主張が付加されていった。

クラシック音楽やジャズ、あるいは現代音楽とのクロスオーバー・ミクスチャーを試みる実験性、前衛性、高度な演奏技術にもとづく独創性、それらはシングル中心のコマーシャリズムとは明らかに距離があった。
そのため世間的な流行などには左右されないアルバム志向のアーティスト、孤高を怖れない挑戦的なロック・バンドたちに、”プログレ”という言葉が似合うようになるのである。

そうしたエクストリームの音楽というのは、おしなべて、アルバムのジャケットがいいんですね。
それ自体、モノを言っているんですよ。
詞にも、何かが潜んでいる。
だから、言っちゃうと、「このアルバム、アタマ悪い人、聴かないでよ」(笑)、っていうこと。


当時はラジオの深夜放送が第1部は午前1時から3時まで、3時から5時までが2部という編成になっていた。
それはTBS、文化放送、ニッポン放送と、どこの民放にも共通するフォーマットだった。

その深い時間に石坂はラジオの深夜放送を聴いている高校生や大学生、予備校生をリスナーに想定してプロモーションに勤しんでいた。
徹底してタイトルやコピーにこだわることで、決してマス向けではないアーティストとジャンルへの関心を高める作戦だった。

たとえばピンク・フロイドのアルバム『おせっかい』に収録されていた「One of These Days」には、「吹けよ風、呼べよ嵐」というイマジネーションが膨らみやすい邦題がつけられた。
アルバムから日本独自でシングル盤がカットされて、ロングセラーになった。

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シングル盤が発売されてしばらく経ってから、プロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーがリングに上がる時のテーマ曲として使われた。
すると悪役だったブッチャーが、人気者になるという現象がもたらされた。

それをきっかけにしてプロレスラーにはふさわしいテーマ曲が不可欠となった。
これもまた石坂が行った日本人への翻訳作業がもたらした成果のひとつだろう。

いずれにしても1970年の段階で早くも”プログレ”という言葉を、日本の洋楽の歴史において広く浸透させたことはミュージックマンとしての偉大な功績だった。
それから40数年の時を経て、ロックファンにとって”プログレ”は世界の共通語になっている。


(注)石坂敬一さんの発言はいずれも下記のサイトからの引用です。『「洋楽」の世界を広く、深く 音楽業界トップ・石坂敬一ユニバーサル ミュージック合同会社会長が語るその未来 第2回』 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1084 @WEDGE_Infinity








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