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美貌の青年歌手のことを聞かれて「丸山くんの美しさは『天上界の美』ですよ」と名言を口にした三島由紀夫

2017.05.27

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1957年の正月、有楽町駅前にあった日劇ミュージックホールでは美貌の青年歌手、丸山明宏(現・美輪明宏)が初出演して話題を集めていた。
幕開きにはガウチョ(カウボーイ)の扮装でアルゼンチン・タンゴをうたい、中盤ではスペイン語の「ベサメ・ムーチョ」やシャンソンの「私のジゴロ」を披露、最後はエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を熱唱する。

そんな艶やかな姿を見た洋画配給会社の宣伝マンは、「これぞシスターボーイだ!」と心の中で叫んだ。
彼はハリウッド映画『お茶と同情』に出てくる「シスターボーイ」という言葉を流行語にするために、丸山明宏をシスターボーイと名付けてマスコミに売り込むことを考えた。

初の日劇出演を激励するために駆けつけた作家の三島由紀夫は、公演終了後に楽屋を訪ねたところを取材に来ていた記者たちに囲まれた。
コメントを求められたレトリックの天才はこんな名言を口にした。

「丸山くんの美しさは『天上界の美』ですよ」

戦後世代の行動する作家として注目されていた三島由紀夫は、文壇における評価が高いだけでなく次々にベストセラーを出して、当時はまさに人気が頂点に達していた時期だった。
小説や戯曲を書くほかにも、歌舞伎、能、映画、バレエからスポーツまでを明晰な頭脳で論じて、文化人しての影響力は大きかった。

新聞や雑誌は「シスターボーイ」という新語とともに、『天上界の美』というフレーズをセットにして取り上げた。
美貌の青年歌手はまもなく、マスコミから注目の存在になっていく。

音楽雑誌「ミュージックライフ」の1957年8月号には「話題のシスター・ボーイ 丸山明宏とはどんな男?」という、5ページを使った特集記事が掲載された。

そこには22歳だった美輪明宏が語った言葉が残されている。

「僕はシャンソン歌手を手段として 僕の持つパーソナリティを最大限にひき出して人に見せる、極端に云えばワンマン・ショー、自分で企画、構成、舞台装置、衣裳、照明全部をやる〝自 分の夕べ〟を計画して居ります」


その発言は四半世紀にわたって、今でも続けられているコンサート・ツアー「美輪明宏/ロマンティック音楽会」そのものである。




美輪明宏は表現者としての生き方と考え方を語り、将来への抱負までを簡潔かつ明快に示していた。

僕は自分の一生を 60才までキチンと計算してあるんです。たとえ 30才で死んだとしても、一生に見立てた彫刻は僕にとっては未完成じゃない。僕はしたい事、しようと思った事を毎日 確実にして行くんだから。


人知れぬ努力を重ねて日頃から技術を磨いている、そんな様子が垣間みえる。

ミュージックライフ誌の「僕のひとりごと」という文章からは、世間の偏見に屈しない純粋さと誠実さが伝わってくる。

新しいショウのリハーサルを終えた楽屋にどこかの雑誌の記者がインタビューに来た。
「シスターボーイと呼ばれて如何がです?」
何百回と答えてきた質問だ。
しかし僕はこれに何時も誠意を持って当たって来たと思う。僕の奇怪に見えるかも知れない行状の底を流れる、僕の情熱と確信をたとえ面白半分に質問する人にでも僕は説明してきた。
一つの確信、それは僕が生きていることであり、そのためになされる多くの努力が今、こうした形となって現れ、僕にとっては絶対に後悔しない一こまとなって行く筈なのだ。

シャンソン界における異端にして革命児はここから将来の目標に向かって、達成すべきことをひとずつ時間をかけて現実のものとしていった。

そのとき、常に深い洞察力で的確に批評してくれたのが、心から敬愛する三島由紀夫だった。
そして1963年の春から5年間、リサイタルにおける編曲とプロデュースを引き受けたのが中村八大である。

ふたりの共同作業が始まってまもない6月15日、中村八大が作曲とプロデュースした「上を向いて歩こう」が、全米ヒットチャートで3週連続で1位を獲得するという金字塔を打ち立てた。

1963年11月8日、自ら作詞作曲した楽曲だけで構成した「丸山明宏リサイタル 丸山明宏作品集」が、東京・大手町のサンケイホールで開催された。
美輪明宏の自伝「紫の履歴書」(水書房)には、その日の中村八大と三島由紀夫について記されている。

万雷の拍手とはこのことを言うのだろう。嵐のような掛け声や拍手の中を指揮の中村八大氏と握手をする。彼の手は暖かく、しっかりと力強かった。その潤んだ眼に、僕は全ての言葉を感じ有難く受けた。
終演後の楽屋は人、人、人の波で凄まじかった。
その中をかきわけて、作家の三島由紀夫が駆け寄ってきて一言、「これこそ歌だよ!」と言った。


<参照コラム>美輪明宏 27歳〜日本初となった“奇跡のリサイタル”その成功までの道〜



マスコミに同性愛者であることを公言したことで非難を浴びて以来、世間からは好気の目線で見られていた美輪明宏だったが、このリサイタルを機にシンガー・ソングライターとして、歌手、俳優、タレント、演出家として、独自の美意識で世界を築き上げていくことになる。

横尾忠則や深作欣二ら関係者たちへのインタビューと貴重なアーカイブ映像を交えて、その人生をたどったドキュメンタリー映画『黒蜥蜴を追い求めて』を製作したフランス人、パスカル=アレックス・ヴァンサン監督はこう語っている。

フランスでは、日本文化といえば三島由紀夫、寺山修司、深作欣二、横尾忠則、宮崎駿そして北野武が有名だ。
とてもよく知られている。
美輪さんはその全員と一緒に仕事をしている。何てすごいんだろう!
作品を撮ってみて、私が美輪さんが大好きな理由がひとつはっきりした。
美輪さんはマイナーなところから出発して、今はメインストリームで多勢に愛されているのだ。
どれほど大変な道のりだったことか!


さまざまな人との出会いから生まれた歌や芝居のエッセンスを、美輪明宏は自らの手で大切に育てながら次の時代へと遺すことに全力を注いでいる。
そうした表現活動を支えてきたのは時代の寵児となった天才たちと出会って身につけた、ほんものの表現者だけが持つ自信と余裕だろう。

今年も春に三島由紀夫の戯曲で「近代能楽集より『葵上・卒塔婆小町』」を演出・美術・主演で上演し、秋には「美輪明宏の世界~シャンソンとおしゃべり~」の公演が予定されている。

シャンソン喫茶「銀巴里」で歌い始めてから65年、落ち着いた柔らかい物腰、エレガントな佇まい、失われないアヴァンギャルド性、漂ってくるノスタルジー、そして若いときから変わらぬ反骨精神は、優美な怪物と呼ぶにふさわしい。


〈写真・御堂義乘〉




「美輪明宏の世界~おしゃべりとシャンソン~」
東京都 東京芸術劇場 プレイハウス



『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか』(単行本)
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