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ジミヘンが生放送で突然クリームの曲を弾いた理由とは?

2015.06.16

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1967年の夏にモントレー・ポップ・フェスティバルで脚光を浴びてからというもの、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの人気は留まるところを知らなかった。

アルバムはどれも大ヒットし、1968年にリリースした3rdアルバム『エレクトリック・レディランド』は全米で初のチャート1位を獲得する。
スケジュールはツアーの予定で埋め尽くされ、疲労とプレッシャーを酒やドラッグでまぎらわす日々を送っていた。
そんな中、ジミが時折起こすトラブルや音楽面での衝突などから、少しずつジミと他のメンバー間の溝は深まっていき、エクスペリエンスは解散へと向かっていく。

英BBCのテレビ番組『ハプニング・フォー・ルル』に出演したのは、1969年の1月4日のことだった。
番組のホストを務めるルルは、「いつも心に太陽を」を大ヒットさせた女性シンガーだ。

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収録前、エクスペリエンスのメンバーは番組プロデューサーから、ルルとデュエットをしてほしいと要求された。
3人は乗り気ではなかったが、エクスペリエンスのデビュー・シングルである「ヘイ・ジョー」の途中で、ルルが加わってデュエットをする運びとなった。

そして生放送が始まり、1曲目の「ヴードゥー・チャイル」が終わると、ルルによる簡単な紹介に続いてデュエットする予定の「ヘイ・ジョー」が始まった。

ところが演奏から2分ほどが経ってルルがデュエットで参加をする前に、突然、ジミは他の2人に演奏中止を指示した。

「こんなつまらない曲はやめて、クリームのために1曲演奏しよう。エリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルースの3人にこの曲を捧げる」


そう言うと、ジミはクリームの「サンシャイン・オヴ・ユア・ラヴ」を演奏し始めたのだ。

ジミとクラプトンの出会いは1967年の1月に遡る。
エクスペリエンスのライブをロンドンで観たクリームのクラプトンとジャックは、ジミのギターが放つロックンロールの新たな変革を目の当たりにして衝撃を受けたという。
そのあと家に帰ったジャックが生み出したのが、「サンシャイン・オヴ・ユア・ラヴ」のリフだった。

クリームはこれをジミに捧げる曲として完成させ、全米シングルチャート5位のヒットとなった。

そのクリームが解散を発表したのは1968年の11月、ジミがBBCに出演する2ヶ月前のことだ。
ジミは自身に捧げられた曲を、全国ネットのテレビで演奏することによって、クリームに最大限の敬意を払ってみせた。


突然の出来事に、番組スタッフが慌てふためいたのは言うまでもない。だが生放送中だったこともあって、中止させることもできなかった。
結局、ルルとのデュエットはおろか、トークの時間もなくなって、エクスペリエンスの演奏だけで番組は終わった。

ジミの予想だにしない行動は まさに“ハプニング・フォー・ルル”だったというわけだ。

その後、エクスペリエンスは半年後の6月に解散してしまうことになる。

ベースのノエル・レディングによれば、この時期は「もうあの火花は全く失われて、観客のことを死んだような眼で見つめながらヒット曲をだらしなく繰り返すだけの演奏には、疲弊と退屈しか表れていなかった」という。
バンドがそんな状態にあっても、『ハプニング・フォー・ルル』での「サンシャイン・オヴ・ユア・ラヴ」は楽しかったそうだ。

ルルとのデュエットに対する反発、クリームへの敬意によって退屈な予定調和から解放された3人は、つかの間だが一体となって音楽を奏でたのだった。

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