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『ラスト・ワルツ』の本番中に突然、同じ曲を2回演奏したボブ・ディラン

2015.11.24

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ザ・バンドの伝説的なコンサート、ラスト・ワルツでトリを飾ったボブ・ディランについて、ロビー・ロバートソンはこう振り返っている。

「大勢が僕たちと演奏しに来てくれたがボブ・ディランこそ欠かせないゲスト。
彼こそ最後に出なければならない存在だ。
その瞬間、僕たちが何をなすべきか明らかになる」


彼らの出会いは1965年の夏、エレクトリック・ギターを抱えて登場したディランが、ニューポート・フォーク・フェスティバルで観客から激しいブーイングを浴びた騒ぎから1ヶ月が経った頃だった。
コンサートでバックを務めてくれる腕のいいロック・ミュージシャンを探していたディランは、周りから推薦されたリヴォン・アンド・ザ・ホークスに依頼してみることにしたのだ。

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ディランが必要としていたのはギターとドラムだけだったので、その間はホークスの活動が中止になってしまうことになる。他のメンバーはあまり賛成しなかったが、ロビー・ロバートソンとリヴォン・ヘルムの2人は参加することにした。
演奏に手応えを感じたディランはリヴォンとロビーの2人に、ツアーにも加わってくれるよう改めてオファーを出した。しかしホークスの活動を大事にしていた2人は、メンバー全員を雇ってくれるならという条件を提示する。
ディラン側はこれをすんなり受け入れ、彼らはともにツアーを回るようになった。
やがて彼らは、ザ・バンドと呼ばれるようになるのだった。

そんなザ・バンドが最後のコンサートをやると聞いて、ディランはゲストで出演することをOKしてくれたが、ひとつ問題があった。

『ラスト・ワルツ』は映画化される方向で話が進んでいたのだが、同じ時期にディランが主演する映画の製作も進んでいた。
自分の出演している作品同士を競わせたくないという理由から、コンサートには出るが映画に出るのは難しい、というのがディラン側の主張だった。
『ラスト・ワルツ』の配給元であるワーナーはディランの出演を条件に出資していたため、もしディランが出ないとなったら映画化は白紙になってしまう。だが結局、この件についてははっきりしないまま、コンサートの当日を迎えることになった。

ディランが結論を出したのは出番の15分ほど前。「映画には出たくない」というのがその答えだった。

それはつまり映画そのものがなくなり、撮影にかけた莫大な費用が水の泡になることを意味していた。
本番まであとわずか、最後の交渉を任されたのはコンサートの制作を請け負っていたビル・グレアムだった。
ザ・バンドに人一倍強い思い入れを抱いていたビルは、必死に、そして様々な提案をして交渉に挑む。
そして見事、ディランが演奏する5曲のうち、後半の2曲だけは撮影して映画に使ってもいい、という許可を得るのだった。

3曲目が終わると、それまで消えていた映画用の照明が点いてカメラが一斉にステージへと向きを変える。
次の曲は、ザ・バンドも参加したディランの『プラネット・ウェイヴス』に収録されている「フォーエヴァー・ヤング」だ。



演奏が終わろうというとき、ディランはメンバーたちにコードの指示を出した。
そして曲が終わるやいなや、ディランは突然1曲目にやった「ベイビー・レット・ミー・フォロー・ユー・ダウン」を再び演奏し始めたのだった。
ザ・バンドのメンバーは突然のことに驚いたが、阿吽の呼吸で間髪入れずそれに続いた。

ディラン側のスタッフは慌てて撮影を中止させようとしたが、ビルがそれを阻止したおかげで、映画でディランが演奏しているシーンは3曲に増えたのだった。



ロビーによれば、この曲こそディランとザ・バンドが最初に演奏した曲だったという。
ザ・バンドの映画にこの曲はどうしても入れておきたいと、ディランは思ったのだろう。

また、ディランが突然予定にないことをやるのはよくあることであり、それが演奏にいい緊張感をもたらしているともロビーは語っている。

最後はそれまでの出演者にリンゴ・スターとロン・ウッドも加わり、全員による「アイ・シャル・ビー・リリースト」で感動的なフィナーレを迎えたのだった。



ザ・バンド『ラスト・ワルツ』
Rhino

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