チャス・チャンドラーがニューヨークのライブ・ハウスで見出した天才・ジミ・ヘンドリックス。チャスは、ジミを英国に連れていくに際して、こんな誘い文句をかけたことがわかっている。
「あっち(イギリス)に行ったら、エリック・クラプトンを紹介してやるよ」
1960年代後半、クリームのメンバーだったエリック・クラプトンは誰もが認めるギター・ヒーローだった。そして、クラプトンはジミに出会った後、友人であったディープ・パープルのリッチー・ブラックモアが演奏するフェンダー・ストラトキャスター(それはジミ・ヘンドリックスのお気に入りのギターである)を試し弾きして、長年使ってきたギブソンのギターから、フェンダー・ストラトキャスターに乗り換えることになる。
1970年。今度は逆に、エリック・クラプトンがストラトキャスターを手に、アメリカへと進出する。そう、デレク・アンド・ザ・ドミノスとしての活動を開始したのである。彼らは唯一のアルバム『いとしのレイラ』をこの年、録音するわけだが、タイトル曲「いとしのレイラ」を録音したまさにその日、バンドはジミ・ヘンドリックスの作品を録音している。それが「リトル・ウィング」である。そしてクラプトンが「リトル・ウィング」を弾いたその9日後、ジミ・ヘンドリックスは天に召されることになるのである。
そんなこともあってか、「リトル・ウィング」には不思議と天使のイメージが重なり合ってくる。
♬
彼女は雲の中を歩いている
走り回るサーカスのような気分で
♬
「リトル・ウィング」と同時にジミが書いていたとされるのが、「エンジェル」だが、「エンジェル」は彼の母親が夢枕に現れたことにインスパイアされて書いたものであることがわかっている。そしてこの曲にも、ジミを天国から見守る母親のイメージを感じてしまうのである。
ジミ・ヘンドリックスの母親ルシールは、彼女が17歳の時にジミを産んでいる。だが、まだ若く、遊び回ることが好きだった彼女は、ほとんど家で息子の面倒をみることはなかったという。
「走り回るサーカスのような」という歌詞は、何となく、ルシールの姿に重なり合うのである。
♬
悲しい時
彼女は俺のところにやってきて
何千という微笑みをくれるのさ
大丈夫よ、と彼女は言う。
大丈夫よ。
欲しいものがあれば
何でも私のところから持っておゆきなさい、と。
♬
「リトル・ウィング」
その小さな翼は、天国の母ルシールのことなのかも知れない。そしておそらく、エリック・クラプトンにこの曲を弾かせたのも、この天使だったのだろう。