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ウィー・アー・ザ・チャンピオンズ
マイ・フレンド
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フレディー・マーキュリーが書いた「伝説のチャンピオン」は、試合後、勝者を讃える歌として数多くの競技場で歌われている。
「頭の中にあったのは、サッカーだ。ファンたちが参加できるようなものを書きたいと思った。よくあるチャントのようなものではなく、もっと演劇的な要素を持った歌をね」
だから、チャンピオンズ(勝者たち)という複数形の歌詞なのである。ファンたちは、選手と自分たちを含めて、勝者であると歌うのだ。
「伝説のチャンピオン(ウィー・アー・ザ・チャンピオンズ)」は、1977年に発表されたアルバム「世界に捧ぐ」に収録され、シングルとして先行発売された。
このシングルにカプリングされたのが「ウィー・ウィル・ロック・ユー」である。
ブライアン・メイの手によるこの曲は、明らかに、「伝説のチャンピオン」と対になるように書かれたものだ。
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俺たちは、俺たちは
おまえたちをやっつける
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アルバムの中では、「ウィー・ウィル・ロック・ユー」が1曲目で、「伝説のチャンピオン」が2曲目となっている。
クイーンの構想通りでいけば、試合前に「ウィー・ウィル・ロック・ユー」を歌い、試合が終わった後に「伝説のチャンピオン」を歌うのが正しい、ということになる。
ところで。
このアルバムが発売された当時、「俺たちはチャンピオンだ」と歌うフレディーを、天狗になったのか、と糾弾するメディアがあった。
それでも、両A面扱いのこのシングルは本国イギリスだけでなく、アメリカでも大ヒットする。
特にアメリカでは、スポーツの試合の時だけでなく、卒業式など、様々な行事で「伝説のチャンピオン」が使われるようになっていく。
そして1992年5月のことである。
アメリカのニュージャージー州にあるクリフトン高校の学生たちは、前の年同様、卒業式で「伝説のチャンピオン」を歌うつもりだった。だが、学校側がストップをかける。
その前年、1991年の11月、フレディー・マーキュリーがエイズでこの世を去ったことが影響していることは明らかだった。
だが、学生たちはすぐに行動を起こす。
ニューヨークにあるZ100というラジオ局に「伝説のチャンピオン」をリクエストしまくったのである。ニューヨークからニュージャージーにかけて、「伝説のチャンピオン」は思いもよらぬリバイバル・ヒットとなり、学生たちは卒業式で正々堂々、誇らしげに「伝説のチャンピオン」を歌い上げたのだった。
サッカー・ワールドカップが近づいている。
日本人はこの歌を歌うことはできるのだろうか。