ロンドン市内で最大の面積を占め、400年以上の歴史を持つ公園、ハイドパーク。
毎年夏にはコンサートが催されるなど音楽ファンにも馴染み深いが、その名前を一躍有名にしたのが1969年にローリング・ストーンズが開催したフリー・コンサートだ。
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そんな歴史あるハイドパークで、1976年にフリー・コンサートを催したのが、当時全盛期を迎えていたクイーンだった。
前年の11月にリリースした4枚目のアルバム『オペラ座の夜』は、本国イギリスで1位になるだけでなく、アメリカでも彼らにとって最高となる4位、その他の国々でもチャートインを果たすなど、世界中で大ヒットした。
そんな彼らが、ハイドパークに向けて動き出したのは1976年の夏のこと。『オペラ座の夜』に続く新作アルバムの制作に没頭していたある日、これまでバンドを支えてきてくれたファンのために何かできないかと考えた彼らは、フリー・コンサートを開催しようという結論に至った。
当時のクイーンの人気を考えれば、場所はハイドパークしかないだろうということで、早速ロンドン公演委員会に確認をとると、開演と閉演の時間を厳守するなど、いくつかの条件付きで許可が下りた。
いわばロックの聖地でもあるハイドパークでのフリー・コンサートに、ブライアン・メイは心ときめくとともにかなりのプレッシャーを感じたという。
「自分たちにそれほどの資格があるのか、確信が持てなかった」
1976年9月18日、ハイドパークには約20万人もの人たちが集まった。
サポート・アクトは、エルトン・ジョンとの「恋のデュエット」が大ヒットしたキキ・ディーらが務め、会場を大いに盛り上げた。
そして日が沈んだ頃。ステージの照明が点くと「ボヘミアン・ラプソディー」のイントロが流れ始め、クイーンがステージに現れると、地鳴りのような歓声が上がった。

「ハイドパークでやったときはピアノソロだったんだ。20万人の前で自分一人で演奏したときは神経がどうにかなりそうだった。声が出てこないんじゃないかと思ったよ」
そんなプレッシャーをはねのけて、クイーンは熱のこもった演奏で最後までやりきり、興奮の収まらない大観衆はアンコールを求めた。
メンバーもファンの気持ちに応えようとステージに上がろうとしたが、すでに閉演の時間は過ぎており、警察がそれを許さなかった。
もしステージに上がれば逮捕すると警告し、ついには公園の電源を落とすという強攻策に出たのである。こうしてメンバーも観衆も不完全燃焼のまま、照明が消えて真っ暗になった公園の中でコンサートは幕を閉じた。
とはいえ、ハイドパークでのフリー・コンサートはキャリアの転機とも言われ、クイーンが残した歴史的なコンサートの1つとして語り継がれている。
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