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キング・クリムゾンがハイドパークにもたらした衝撃

2015.07.14

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何年か後にこの日を振り返るだろう。
そしてその重要性を十分に理解するはずだ。


キング・クリムゾンの中心人物、ロバート・フリップが日記にそう記したのは1969年7月5日、ハイドパークでのコンサートに出演したときのことだ。

ローリング・ストーンズの創始者、ブライアン・ジョーンズが不慮の事故によって亡くなってから3日後。
ロンドンのハイドパークには25万人以上もの人たちが集まっていた。
この日はもともとストーンズ主催によるフリー・コンサートが企画されていたのだが、ブライアンの訃報を受けて急遽、追悼コンサートとなった。
詳しくはこちらのコラムで

出演者はストーンズの他に、アレクシス・コーナーやロイ・ハーパーといった名のしれたミュージシャンから、ほとんど無名のバンドまで多様な顔ぶれが集まった。
そのうちの1つが結成したばかりのキング・クリムゾンだった。

ロバートがマイケル・ジャイルズ、ピーター・ジャイルズの兄弟とともに活動していた前身バンド、ジャイルズ・ジャイルズ・フリップはヒット曲が出ずに行き詰っていた。

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そこへマルチ・プレーヤーで作曲もできるイアン・マクドナルド、そして作詞や照明でバンドのイメージを作り上げるピート・シンフィールドが加わったのは1968年の6月のことだった。
この頃からバンドの風向きは変わり始め、最後にピーター・ジャイルズが抜けてグレッグ・レイクが加わり、5人のバンド・メンバーが集まった。
そして年が明けた1月22日、バンド名はシンフィールドが作詞した「クリムゾン・キングの宮殿」から取ってキング・クリムゾンとなる。

難しいフレーズやリズム、複雑な展開を正確に演奏する洗練されたテクニック、即興演奏が生み出す緊張感、シンフィールドの歌詞が描く現実離れした世界観は瞬く間に評判を呼び、レコードデビューも果たさないうちにキング・クリムゾンはハイドパークの大舞台に立つこととなった。


猫の足下 鉄の爪
神経外科医のさらなる悲鳴
妄想に毒された扉
21世紀のスキッツォイド・マン


のちに彼らの代表曲となる「21世紀のスキッツォイド・マン」(旧邦題「21世紀の精神異常者」)で幕を開けると、たった4人で生み出したとは思えない強靭なサウンドに会場の空気は一変した。
そのまま畳み掛けるようにキング・クリムゾンの世界は次々に展開していき、わずか40分弱で7曲を演奏すると、最後はサイレンの音が鳴り響く中、名前も知らなかったであろうバンドに対して数十万による地響きのような歓声と拍手が送られた。

その一部始終を目撃した1人にして、3年後にパーカッションとして加入することになるジェイミー・ミューアは、このときのステージをこう語っている。

「ほとんどのバンドはシーンに登場してから上達していったが、クリムゾンは現れたときから、とてもアダルトで、インテリジェントで、前衛的な音楽をやっていた。
突然全部の荷物がドスンと落ちたような衝撃だった」


キング・クリムゾンのパフォーマンスは各メディアで称賛の嵐を浴びた。
彼らの名前と評判は広く知れ渡り、3ヶ月後の10月にリリースされたデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は全英5位の大ヒットとなる。

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キング・クリムゾンはプログレッシヴ・ロックという新たな音楽の先駆者になるとともに、同アルバムはその金字塔的作品として今も多くの人たちに影響を与え続けている。

<ハイドパーク全編>



キング・クリムゾン『クリムゾン・キングの宮殿』
ポニーキャニオン


参考文献:
クリムゾン・キングの宮殿~風に語りて シド・スミス著 池田聡子訳(ストレンジ・デイズ)

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