1970年6月27日。英国の南西部突端にあるトゥルーロ・シティ・ホールのコンサートに、彼らはそれまでと違う名前で現れた。
ブライアン・メイがロジャー・テイラーらと結成したバンド「スマイル」は、1969年の9月にシングル「フェイス」を発売したが、まったくセールスにはつながらなかった。
失敗といってもいいデビューの翌年、バンドのベーシストにしてボーカルを担当していたティム・スタッフェルが脱退してしまう。そしてティムの代わりにバンドにボーカルとして参加したのが、ファルーク・バルサラ、後のフレディ・マーキュリーである。
フレディは、ティム・スタッツェルの同級生だった。そんなことから、「スマイル」のことはずっと身近で観てきていた。
「バンドは解散すべきではない」
そう言ったのは、バンドのファンでもあったフレディだった。そして彼は自らバンドに飛び込んでいったのである。心機一転、バンドの名前を変えることを提案したのも、フレディだった。
「クイーン」
フレディの提案には、当初、ブライアンもロジャーも気乗りがしなかった。フレディが言うように、クイーンという単語からは、様々なイメージが広がったが、その中の一つが「女装した男」という意味だった。
フレディの中では、すでにその後の「クイーン」のイメージができあがっていたのだろう。
その夜のライブは、成功のうちに終わる。バンドのギャラは50ポンドであった。そして「スマイル」は、新しく「クイーン」と名乗り続けることになったのである。
翌1971年。ベーシストのジョン・ディーコンがオーディションで加入する。それからの活躍は、知っての通りだ。
ところで。
脱退したティム・スタッツェルはその後、模型の仕事を始めている。彼が関わった仕事のひとつが、機関車トーマスの模型作りである。
戦慄の王女(クイーンI)
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