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星野源やチャラン・ポ・ランタンたちが「スーダラ節」を歌い継ぐことで何かが変わるのか?

2020.07.01

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2011年7月30日、フジロック二日目のリハーサルが始まったアヴァロン・ステージでは、前日に5回目の出演を果たしたインストSAKEROCKの星野源が、ソロでライブを行うことになっていた。
サウンドチェックのためにステージに登場した星野源は「スーダラ節」を始めると、「リハだけどご一緒に!」と観客にも声をかけた。
そこからは「もっと歌おう!」との声で、本番前なのに観客との間で大合唱が繰り広げられたのである。

それから1年以上が過ぎた2012年11月26日、フジテレビ『笑っていいとも!』が放送終了した後で、音楽に精通する編集者・ライターである松永良平氏が、ツイッター上でこんなつぶやきを流した。


これはテレフォンショッキングのコーナーにゲスト出演していた星野源が、タモリと一緒に生歌を披露したいと言って、「スーダラ節」のセッションが実現したことへのツイートだった。

それに対しては当然だが、「スーダラ節: ただただカッコイイ…」、「音楽のええ所が全部詰まってる感あるなー」、「星野源が本当に楽しそうでかなりの多幸感」といった反応が返ってきた。
この「スーダラ節」は番組で起きた偶然、あるいはハプニングといったもの以上に、何かが変わっていく兆しだったのかもしれない。

1961年の6月から始まったバラエティ番組『シャボン玉ホリデー』は、テレビ時代の黎明期を飾った伝説の番組として、今も語り継がれている。
メイン・キャラクターはザ・ピーナッツ、そしてハナ肇とクレイジーキャッツであった。

ジャズ出身のコミカルなバンドとして米軍キャンプなどを回っていたクレイジーキャッツは、結成6年目にしてこの番組をステップボードに人気が爆発した。
分岐点は8月の末にリリースされたレコードの「スーダラ節」が、記録的な大ヒットになったことだった。

それまでの常識からすれば、かなり”変な歌”の部類に入る「スーダラ節」を書いたのは、ジャズメンに転向した作・編曲家の萩原哲晶である。
米軍キャンプのステージで演奏中にアメリカ兵から「ユー!クレイジー」と言われていたので、それを逆手に取って自らクレイジーキャッツと名乗るようになったメンバーたちにとって、萩原は下積み時代の先輩にあたっていて気心がしれていた。

植木等の口ぐせだった意味不明の言葉「スイスイスーダララッタ~」のフレーズをもとにして、クレイジーキャッツのコントを書いていた放送作家の青島幸男に歌詞を書かせて、萩原にコミカルで破天荒な曲を作らせたのはプロデューサーの渡邊晋だった。

『シャボン玉ホリデー』でのアレンジ仕事を皮切りに、クレイジーキャッツとは10数年間にわたって日常的に仕事をしてきた音楽家の宮川泰が、渡邊晋の家で歌が生まれて来るときの様子を具体的に述べている。

僕もアレンジを担当するようになったから曲の会合に出てたんだけど、詞は青島(幸男)さんでしょ。
青島さんが書いてきて渡辺晋さんの家でミーティングするの。
もちろん植木(等)さんも来て、今度歌うのはどんなのかな、って興味持ってるでしょ。
そうすると青島さんが詞を読んで聞かせる。
あの人が読むとおかしいのよ。
「ちょいと一杯のつもりで飲んで~」って飲んでる格好するわけ。
ムチャクチャおかしいのよ。
それを渡辺晋社長がね、「うん、そこわかるけどね、ちょっとしつこいからもう少し変えてね」とか言ってね。
それで萩原さんがメロディー作ってくるとA、B、Cと3つぐらい作ってくるの。
それを歌いながら「そこもうちょっと下世話にできないかな」とか社長たちにいろいろ言われながら作ってたのよ。


プロデューサーとしての渡邊晋が仲間たちと一緒になって、歌作りの現場を取り仕切っていたことがわかってくる。

オーソドックスな歌手を志していた植木等は初めのうち、その”変な歌”に抵抗を感じて、歌うこと自体をかなり嫌がったという。
しかし腹をくくって歌ってみたら、これが爆発的にヒットしたのだ。
それを機に人気者となった植木等は凄まじいまでのエネルギーを発揮して、スター街道を驀進していった。

青島幸男が書いた一連のクレージー・ソングには、”スーダラ”とか”無責任”、あるいは”C調”といった言葉に託された、明白なメッセージがあった。
ナンセンスでいい加減に聞こえる一連の”変な歌”の奥底には、経済優先の社会に対する違和感や、庶民の側からのアンチ・テーゼといった思いが込められていた。

「いかに人は自由人たれるか」という青島にとっての哲学的なテーマは、植木等という唯一無二のオーラを持ったキャラクターを通して、クレイジーキャッツの歌と笑いによって広まっていった。

中学生、高校生の頃、どん底に暗い性格の僕には、青島さんの詞が精神安定剤でした。その豪快さ、無責任という言葉の痛快さに励まされつも、きっとどうでもいい小さいことで悩んだりする人なんだろうなあ、そんな人じゃないとこんな世の中の哲学みたいな歌詞かけないよなあ、と勝手に親近感を持っていました。(星野源)


確実に閉塞気味で息苦しい時代が到来している21世紀になってから、「スーダラ節」がカヴァーされて復活しているのは決して理由のないことではないだろう。

2014年の春にはアッパーなロック・アレンジでカバーされたSEBASTIAN Xの「スーダラ節」が出たし、その年の夏には2人組姉妹ユニットのチャラン・ポ・ランタンもカヴァーしている。





<注>本コラムは2014年8月28日に公開されました。なお文中の発言の引用元は、「CDジャーナルムック 青島幸男読本」監修:北中正和 青島美幸(音楽出版社)です。


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星野源・平野太呂『ばらばら(CD付) 』(単行本)
リトル・モア


『CDジャーナルムック 青島幸男読本』(ムック)
音楽出版社


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