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ホウキがギターに早変わり、ジミとエルヴィス、坂本九と忌野清志郎をつなぐ歌 

2015.01.09

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教室でホウキがギターに早変わりする、そんな伝統を始めた少年たちや、それを受け継いだ少年の話を紹介したい。

エレキギターに革命を起こしたジミ・ヘンドリックスは、8歳の頃からホウキを手にギターを弾く真似事を始めて”くちギター”で音をつけていた。
アメリカでもロックンロールが生まれた時から、ホウキはギターの代用品になっていたのだ。

ジミは15歳の時にシアトルのシックス・スタジアムで、エルヴィス・プレスリーのライブを観てからは「ラブ・ミー・テンダー」に夢中になったという。

そのエルヴィスが5歳の時に父親に作ってもらった手作りのギターは、葉巻の箱に穴をあけてホウキの柄をくっ付けて、荷造り用のヒモを張ったものだった。

エルヴィス

ロックンロールがアメリカの進駐軍放送を通じて日本に到達したのは1954年の後半から55年にかけてだが、一般に広く知られるのは1956年以降、エルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」がヒットしてからだ。

まだテレビも普及していない時代で誰も動く姿を見たことがないので、ホウキ・ギターを全国に広めることになったのは雑誌に載ったエルヴィスの写真だった。

ホウキをギターにするアクションは、江利チエミが主演した映画『サザエさん』にも登場する。
1956年に日本で最初のロックンロール・ナンバー「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を出した江利チエミは、人気ジャズ歌手で高倉健夫人となる。

saza

1954年の春に日大付属の横浜学園中学に入った坂本九はブラスバンド部に入ってトランペットを吹いていたが、まもなくしてそれでは満足できなくなった。

坂本九は1954年から55年にかけてメンフィスのサン・レコードから出ていたエルヴィスの歌を、兄や姉の影響で小学生の頃から聴いていたのだ。

日本で最も早い時期からエルヴィスに夢中になった少年たちの一人だった坂本九は、エルビスの物真似をして学校の教室で床をころげまわり、机に飛び乗るアクションを見せてはクラスメートから拍手喝采を浴びていた。

坂本九 ギター

高校生になった坂本九はエルヴィスへの傾倒をいっそう深めて、初代ドリフターズにアルバイトのバンドボーイとして参加する。

立川の米軍キャンプにあった将校クラブでエルヴィスの「ハウンド・ドッグ」を歌ってプロの道に入り、パラダイスキングのメンバーとして坂本九は1959年にレコード・デビューを果たす。

そして1961年には念願のエルヴィスの曲をカヴァー、「G.Iブルース」をヒットさせている。

GI

ソロで歌った「上を向いて歩こう」が日本で大ヒットしたのは、その年の秋から翌年にかけてのことだ。
さらに1年後には「SUKIYAKI」のタイトルで、「上を向いて歩こう」は日本語のまま世界中で大ヒットを記録する。

全米チャートの1位に輝く金字塔を打ち立てたのは1963年の6月のことだが、エルヴィスはその頃、雲上人のように映画の世界にこもっていた。

それから5年間は新たなアルバムも出さず、音楽活動からすっかり遠ざかっていく。
忌野清志郎は1964年の春に国分寺市立第三中学校に入学し、おりからのエレキブームに刺激を受けてベンチャーズをカバーをするバンドを始めた。その後は同級生のバンド仲間と「The Clover」を結成し、それがR.C.サクセションへと発展していく。

ベンチャーズが好きでね、ビートルズよりも好きだったよ。ボーカルにはあんまり興味なかった。とにかくギターだと思ってた。もうギターが欲しくてたまらなかった。学校行ってもノートにギターの絵を描いたりしてたよ。
放課後なんて掃除当番ってあるじゃない。その時、ホウキがギターに早変わりするの。階段の踊り場をステージに見立てて、みんなでベンチャーズやビートルズの真似したよ。ギター・フレーズを口ずさんでさ。「デンデンデン」って歌いながら、ホウキを弾いてんのよ。(注1) 


忌野清志郎はジミと同じように、歌ではなく”くちギター”で音をつけていた。

音楽シーンから距離をおいていたエルヴィスが、見事に復活を果たしたのは1968年の12月の「エルヴィスNBC TVスペシャル」だ。
そこからライブに活路を見出しすと、エルヴィスはラスベガスを中心にショーを行って再びトップ・エンターテイナーの座についた。

坂本九が子供の頃からあこがれ続けたエルヴィスのショーを、ラスベガスで見に行ったのは1970年のことだった。

1960年代後半から天才ギタリストとして脚光を浴びて、世界中のミュージシャンに多大な影響を与えたジミはその年、わずか27歳で急死している。

ジミが亡くなる半年前にR.C.サクセションは、坂本九と同じ東芝レコードからシングル「宝くじは買わない」でデビューしていた。
だが、1972年のシングル「僕の好きな先生」が少しヒットしたものの、後が続かずに70年代の半ばには低迷を余儀なくされる。

R.C.サクセション宝くじ

忘れられかけていたR.C.サクセションに復活の兆しが見えてくるのは、1977年に入って精力的なライブ活動を続けながら、徐々にロックバンドへと変貌したのがきっかけだった。

その時に重要なレパートリーになっていたのが、大胆なロック・ヴァージョンに生まれ変わった「上を向いて歩こう」だ。

ギター・フレーズを口ずさんでホウキを弾いていた少年は、日本を代表するロック・ミュージシャンへと成長していく。
同じ頃にエルヴィスは、42歳の生涯を閉じている。

それから約10年後の1988年、忌野清志郎はエルヴィスの「ラブ・ミー・テンダー」を日本語で歌って蘇らせる。

教室でほうきがギターに早変わりする伝統とともに、ゴキゲンな音楽に出会った喜びやときめきもまた、楽曲をカヴァーすることで時や空間を超えて受け継がれていく。

「上を向いて歩こう」忌野清志郎

「ラブ・ミー・テンダー」忌野清志郎

(注1)連野城太郎著『GOTTA! 忌野清志郎』(角川文庫)41ページからの引用。

(注2)放課後の教室に残っていた一人の少女が音楽が鳴り出すと、ホウキをギターに見立ててかき鳴らしながら壁から天井へと歩きまわる、そんなCMがオンエアされたのは2006年のことだった。使われた音楽はスコットランドのロックバンド、フランツ・フェルディナンドの「Do You Want To」。

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