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勝手に売れたわけではなかったサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」②

2016.02.27

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激動の60年代後半から70年代にかけてはまだベトナム反戦運動や反体制の学園紛争の名残が残っていて、ロックバンドやフォークシンガーたちは、個と個のつながりが感じられるラジオパーソナリティは引き受けても、商業的な巨大メディアのテレビに出演することは避けていた。

彼らは聴衆との直接コミュニケーションを重視し、基本的にライブ活動に重きをおいた活動を行っていた。
音楽フアンもそれをよしとしていたし、テレビ局側もまた彼らとは世界が違うと距離を取っていたのだ。

ビクターからデビューする無名の学生バンドの将来性に期待してマネージメントを引き受けたアミューズの社長、大里洋吉はマーケットで良い反応が出てきたサザンオールスターズをブレイクさせるために、あえて積極的にテレビを活用したプロモーションを選んだ。

タイミングがいいことには、その年の1月から始まったランキング・スタイルの歌番組『ザ・ベストテン』が、驚くほどの高視聴率を上げていた。
TBSがキー局で、黒柳徹子と久米宏が司会をするのも新鮮だった。

歌手の人気や知名度ではなく楽曲に焦点を絞った『ザ・ベストテン』は、きちんとランキング通りの歌を生放送で視聴者に伝える方針をとって成功した。

その日の放送時間にスタジオに来られなければ、歌手がいる場所にまで中継車を出して現地から生放送するという、それまでにない斬新な内容で視聴率はうなぎのぼりとなった。

とくに人気が高かったのは4月4日の後楽園球場におけるコンサートを最後に、解散すると発表して最後の全国ツアーを行っていたキャンディーズだった。
解散を目前に控えた3月30日、札幌・テイネオリンピアスキー場からの生中継があった。



渡辺プロダクション時代にキャンデーズのマネージャーだった大里は前の年に円満退社し、独立してアミューズを興すと新人の原田真二をヒットさせて大きな成功を収めていた。

ところがキャンディーズが急に解散することになったため、渡辺プロダクションの渡邊晋社長に頼まれて半年間だけ、キャンディーズの解散プロジェクトで専属プロデューサーとして大役を無事に勤め終えた。

サザンオールスターズを引き受けたのはその仕事を終えた直後だから、後で考えれば運命的な出会いだったといえる。

当然ながらテレビ界に太いパイプがある大里は「ザ・ベストテン」のプロデューサー、弟子丸千一郎にサザンオールスターズの出演を打診した。
厳格に集計しているランキングのベストテン圏外でも、11位から20位にまで上昇してきたら番組が推薦するコーナー、「スポットライト」のに出演させると弟子丸は約束した。

番組独自の集計による『ザ・ベストテン』のチャートは、レコードの売上だけでなく有線放送やラジオのオンエア回数、それに番組の視聴者からのリクエストはがきで作られている。
レコードの売上は容易に操作できないが、有線放送やラジオのオンエア回数ならば、人海戦術である程度まで押し上げることができた。

リクエストはがきをアルバイトに書かせることも考えられたが、事務所やレコード会社の大量投票は不正とみなされるとハネられてしまう。
そこで大里は日本全国のイベンターに、有線放送やはがきでラジオ番組にリクエストを出すように応援を求めた。

甲斐バンドの日比谷野外音楽堂のコンサートでオープニングアクトに出たサザンオールスターズを見て、将来性に注目していたイベンターたちはブレイクを見込んで結束した。
さっそくリクエストはがきで協力しただけでなく、秋の学園祭にブッキングすべく各地の学生たちに売り込んだのである。

レコードの売上が増えてチャートが上昇して出演のめどが立ったところで、大里はTBSの演出スタッフにライブハウスからの中継というアイデアを提案する。
現在と違ってその当時はまだライブハウスというものが、東京や大阪などの都会に出来たばかりでもの珍しかった。

そして8月31日、1976年にできた「新宿ロフト」からの中継が始まった。
ぎゅうぎゅう詰めの観客に囲まれて店内の中央にある、巨大な潜水艦のオブジェの甲板上に立っているバンドに、視聴者はまず驚かされた。

超満員の客を相手にライブを終えた直後だったので、女性の原由子を除いてメンバーたちはジョギングパンツに上半身裸という姿だ。
スタジオにいるきらびやかな芸能人たちとは、対極にあることが誰の目にもはっきりとわかった。

司会の黒柳徹子が「急上昇で有名におなりですが、あなたたちはアーティストになりたいのですか?」と訊いた。
それに対して桑田佳祐が「いいえー、ただの目立ちたがり屋の芸人で~す」と答える。
そんなやりとりからは、現役の学生バンドらしい清々しさも伝わってきた。

♪ラーラーラー、ラララ、ラーラーラー~♪

ところが歌が始まると日本語か英語かわからない、桑田佳祐の歌いっぷりに視聴者は衝撃を受けることになる。
持ち時間が2分しかなかったので、レコードのテンポよりもかなり早い「勝手にシンドバッド」だったから、異常なまでのハイテンションだった。

たくさんの視聴者に”わけのわからないもの”に出会ってしまったという興奮を与えられた小中学生たちの間では、翌日から日本全国のあちらこちらでサザンオールスターズがクラスの話題になった。

こうしてサザンオールスターズはまずテレビを通じて、若年層のファンの心を掴んでいったのである。
9月21日に9位にまで上昇してベストテン入りを果たした「勝手にシンドバッド」は、11月30日まで2か月以上もランクインし続けて大ヒットになった。

でも、まさかベストテンとか、テレビ番組に出て悩むとは思ってなかった。
だから、あくまでもシャレとして「勝手にシンドバッド」出しといて、実際はリトル・フィート演ってるんだよ、みたいな、そういう浅はかな戦略的イメージしか持ってなかった時だから。
ところが、そのテレビとか出ちゃったことがね、人生変えちゃったのね。


ベストテン入りしてからのサザンオールスターズはたびたびスタジオでも演奏を披露したが、テレビという華やかでゴージャスな虚構の世界にあって、素人っぽさが浮いている気さくなロックバンドとして妙にハマった。

はじめのうちはコミックバンドのようにみなされていたが、テレビ出演を嫌がらないロックバンドとして認知されて、特に子どもたちの人気者になった。

それまでのロック・ミュージシャンとテレビとの関係を変えたという意味で、サザンオールスターズはまさに画期的なアーティストとして成長していく。(続く)


(注)本コラムは2016年2月27日に初公開されました。なお桑田佳祐の発言は、単行本 「ブルー・ノート・スケール 」 (桑田佳祐・著 ロッキング・オン発行)からの引用です。

<こちらのコラムもどうぞ>祝還暦・桑田佳祐~勝手に売れたわけではなかったサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」①

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