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「北帰行」~歌のなかで主人公はなぜ北へ北へと向かうのか?①

2016.07.01

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日本の叙情的な歌謡曲の主人公は、なぜか北へ北へと行きたがる。
傷ついた心の持ち主のふるさとがみんな北国にあるかのように、傷心の男や女は歌のなかで北へ帰る。

「北へ帰る人」という歌詞は、石川さゆりの代表曲「津軽海峡冬景色」にも出てくる。
 

  上野発の夜行列車 おりた時から
  青森駅は 雪の中
  北へ帰る人の群れは 誰も無口で
  海鳴りだけを きいている
  私もひとり 連絡船に乗り
  こごえそうな鴎見つめ
  泣いていました
  ああ 津軽海峡 冬景色


この北方回帰願望はいったいどこから来ているのだろうか。

「北へ帰る」歌の先陣を切ったのが「北帰行」である。
作者不詳のまま若者たちの間に口伝えで広まり、終戦後の日本が復興を遂げるにしたがって、都会の”うたごえ喫茶”や”うたごえ酒場”などで愛唱歌になった。

そして小林旭が主演する映画『渡り鳥シリーズ』に使われたことでレコードがヒットし、いつしか日本のスタンダード・ソングになっている。

北帰行

作者の宇田博は東京生まれで子供の頃からおおらかな性格、自然体で型にはまらない少年だった。
東京府立四中から「規則を守らない」「校風に合わない」との理由で、退学処分を受けたのは1939年(昭和14年)のことだ。

中国東北部に建国された満州国で働いていた父親を頼って、宇田は大陸に渡って満州の首都が置かれていた新京(現・長春市)の建国大学予科に入学した。
だがそこでも強圧的な権威に対する反抗心が抑えられず、校則違反で放校処分を受ける。

次に父親のすすめで入学したのが、旅順に設立されたばかりの旅順高等学校だ。
しかし、戦時体制下における大日本帝国によって作られた最後の官立旧制高等学校は、自由な校風とはほど遠く280もの校則に縛られていた。

寮生活をしていた宇田は入学から一年後、開校記念日で休みだった1941(昭和16)年5月5日に、親しくなった女性と映画を見た。
その後は一緒に酒を飲んで酔って夜遅く帰ったところを、高校の教官に目撃されてしまう。

もちろん飲酒も異性交遊も禁止されていたが、宇田の場合にはこれに寮の門限破りも加わった。
生徒課に出頭するよう命じられた宇田は三度目の退学処分を受けて、旅順を去ることになる。

父親が住む奉天(現・瀋陽市)に帰るしかなくなった宇田は、寮を出て有り金が続くまで旅館に泊まって鬱屈した日々を過ごした。
そのときに「敗北と流離の思い」を込めて書き上げたのが『北帰行』である。

「北帰行(旅順高等学校寮歌)」作詞・作曲:宇田 博

窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく
北へ帰る旅人一人 涙流れてやまず

建大 一高 旅高 追われ闇を旅ゆく
汲めど酔わぬ恨みの苦杯 嗟嘆(さたん)干すに由なし

富も名誉も恋も 遠きあくがれの日ぞ
淡きのぞみ はかなき心 恩愛我を去りぬ

我が身容(い)るるに狭き 国を去らむとすれば
せめて名残りの花の小枝(さえだ) 尽きぬ未練の色か

今は黙して行かむ 何をまた語るべき
さらば祖国 わがふるさとよ 明日は異郷の旅路
明日は異郷の旅路


ここ場合の”都”は遠く離れた内地の東京であり、”北”とは旅順の北東およそ300キロにあった奉天のことだろう。
親しい寮の仲間たちを旅館に集めた別れの席で宇田がその歌を披露すると、友人たちは歌詞を写してメロディーを覚えた。

「北帰行」は旅順高校の寮歌として、生徒たちの間で歌われるようになった。
それは後輩にまで受け継がれたが、4年後に日本が敗戦したことによって学校そのものがなくなってしまった。

しかしそれから20年の月日を経て、レコードがあったわけでもなければ、譜面が残っていたわけでもないのに、「北帰行」は人づてに歌い継がれていった。


(続く)









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