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照れながらも忌野清志郎が佐野元春を「スルメみたいに味が出てきます」と紹介した夜

2024.04.22

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2003年4月22日、ザ・ホーボー・キング・バンド(H.K.B.)をバックにした忌野清志郎と佐野元春のごきげんな掛け合いは、「トランジスタ・ラジオ」へと受け継がれた。

これまでの経緯はこちらのコラムで


演奏が終わった後、忌野清志郎と佐野元春はお互いを紹介し合ったのだが、シャイな二人が照れながら交わす会話からは、いつになっても失われない少年らしさが感じられた。(注)

清志郎「一緒にやんのは初めてだね・・・」
元春 「初めて・・・。ずっと聴いてた」
清志郎「ずっと聴いてた、おれも・・・、ラジオとか・・・」
元春 「自由に好きな曲がうたえる国に生まれて、ぼくは幸せだと思うよ」
清志郎「サンキュー、サンキュー」


「自由に好きな歌が歌える国に生まれて幸せだと思う」という佐野元春の言葉は、いささか唐突な発言にも聞こえるかもしれない。
だが忌野清志郎と主催するラジオ局TOKYO FMとの間で、放送禁止歌をめぐって長く続いてきた確執を考えれば、その微妙なニュアンスが伝わってくる。

そこから「僕にもラジオについての歌がある」と、ラジオつながりで始まったのが佐野元春の「悲しきRADIO」。
忌野清志郎はコーラスとサックスで参加したのだが、曲の途中に演奏をバックにお互いに語り合った即興トークが印象的だった。(動画では1:12:00から始まる)

僕は小学校中学校の時、よくトランジスタラジオを
夜、眠る前に枕元に置いてきいてました
そこから流れてくる曲はロックンロールやR&B
そして日本のミュージシャンのレコードは、たとえばRCサクセション
曲はたとえば「僕の好きな先生」、知ってる?
そして曲を聴いたとき、ああ、ぼくにも
学校におじいさん先生だけど、
似たような先生がいるなぁと思って、その曲は大好きでした
彼がその曲をいつ書いたのかは、
ぼくはよくわからないけども、でも何十年かたって
同じステージでこうやって一緒に歌えるなんて
とても光栄だと思っている、忌野清志郎!


子供の頃の気持ちをストレートに切り出した佐野元春。
しばしの間があって、忌野清志郎がこう応えていく。

まいったなぁ、イエーッ
まいったなぁ、佐野元春ー、イエーッ!
こいつはね、ごきげんなやつだぜ
昔、むかし、2回ほどイベントで一緒に出たことあります
それから、彼が番組を持ってて
何度も呼んでもらいました
そのたびに、最初は気取ったやつだと思ってたんですが
だんだんわかってくると、こんな面白い人はいません
結構面白いですよ
スルメみたいに味が出てきます
これからもよろしく頼むぜいイエーッ!
佐野元春、イエーッ!


手拍子に合わせて佐野元春が、アドリブで観客に「Peace,Love,No War」と語りかける。
そこから「ピース、ラブ、ノー・ウォー」というメッセージがくり返されて、15分にもおよぶ「悲しきRADIO」は終了したのだった。

忌野清志郎は自分の立ち位置の後ろに置いてあったご自慢の自転車に乗って、その夜のステージを後にする。
同じステージに二人が立っていたのは、わずか30分にすぎなかったが多くの人たちの記憶に残るライブとなった。

そしていつもならうまく言えたことがないという気持ちも、「スルメみたいに味が出てきます」というユーモラスな言葉から、この日は伝わって来たと感じた人も多かったことだろう。

(注)1:08:00から始まる




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