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中島みゆき「時代」②~ヤマハ音楽振興会の創始者だった恩人に捧げる言葉「DAD 川上源一」

2016.12.09

第6回世界歌謡祭の舞台でグランプリを受賞して「時代」を歌う際に、中島みゆきはオーケストラの伴奏を制して自分のギター一本でうたった。
そこには自分を発掘してくれた恩人、川上源一へのお礼の気持ちが込められていたという。

ヤマハ音楽振興会の理事長の川上は戦時中に飛行機のプロペラを作っていた日本楽器(ヤマハ)を、戦後復興の中で世界一のピアノ・メーカーに成長させた経営者として知られている。

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1969年に「ヤマハ・ポピュラー音楽コンテスト」(通称・ポプコン)を創設した川上は、全国から寄せられた応募曲を聴いて自らすぐれた曲をチェックするなど、当時の商業主義とは異なる新しい音楽の発展に注力していた。

オーストラリアで楽器のディーラーをしているユダヤ人が日本を訪れたとき、川上は応募曲の中から「合歓の郷 野外ホール」で開かれる大会で発表することになっていた、40曲あまりものテープを聞いてもらったことがあった。
1972年のことである。

そこにはその年12月に井上陽水がリリースした2枚目のオリジナル・アルバム『陽水II センチメンタル』に収録される「紙飛行機」」や、翌73年にレコード化されるモップスの「何処へ」などに混じって、素朴なアマチュアの作品も数多く入っていた。

すると彼は「恋唄」という曲がいいと言ったのだった。「恋唄」は、当時大学生だった男性がつくったもので、大変に、日本的な、細やかな情緒が感じられる、シンプルで洗練されたギターの弾き語りの曲だった。
ロックから何から、いろんな曲がある中からこれがいいと言われたとき、「でも、こういう、心を非常に静めたというふうな感じの歌は、あなたがたのような、ビフテキの厚いものを食べているような人にはわからないと思っていたのですが」と私は言ったのだが、その人は、この「恋唄」がいいというのであった。(注1)


これは目から鱗が落ちる指摘だった。
そして川上はアマチュアが作ったシンプルなギターの弾き語りでも、世界に通用する可能性があると感じたのだ。

私たちもブラームスを聴けばいいと思う。ビートルズを聴いてもいいと思う。ドイツ人や、イギリス人が理解しているようには、理解していないかも知れないけれども、少なくともいいとは思う。日本的なきめの細かな情緒の世界というのは外国の人たちには理解されがたいと思われがちだが、そんなことはない、感じてもらうことが、できるはずなのだと、そのときあらためて、知ったのだった。


現代の日本人の情緒を歌いながら素直に世界の人々の共感を呼ぶ歌を作れたなら、ヤマハの手で新しい音楽シーンが作れるのではないか。
川上はさっそくポプコンと世界歌謡祭を改革して、いっそうアマチュアの未知の才能を見出す方向にした。

なぜならば日常的にコマーシャリズムのなかで創作活動を続けていプロの音楽家は、どうしても立場的にさまざまな制約からのがれられないからだ。

「ここはひとつ、売れるように、うんときわどくお願いします」と頼まれれば、そういう曲をつくらざるをえないであろう事情が、あると思われる。
しかしアマチュアなら、そのような制約に属する必要はない。
もっと素直に、自分の情緒を表現する自由を与えられているであろうし、アマチュアというのはそれこそ無限に、広大無辺に存在しているわけであるから、その詞も、曲想も、無限に出てくるはずである。(注2)


そのために既成のポピュラーソングの専門家たちではなく、アマチュアからほんものの才能を見出して、ヤマハ音楽振興会が世界に通用するように育てていくことにした。
ヤマハが1970年から開いていた世界歌謡祭でも、川上はアマチュアたちがグランプリに選ばれることを期待するようになる。

そもそも世界歌謡祭は川上が、「音楽こそ世界を結ぶ大きな絆」というテーマで始めたものだった。
そして1973年の世界歌謡祭では現役の高校生、小坂明子の自作自演による「あなた」がグランプリを獲得し、レコードも大ヒットを記録した。

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ポプコンの人気がピークに達していた1975年、川上は応募曲の中から「時代」という作品に耳を留めた。
恋人同士の恋愛を描いた作品が主流だった頃だったその時代に、「時代」という歌の新鮮さはひときわ輝いて聴こえたのだ。

そのスケール感のある歌をつくった才能に驚いた川上は、本人を呼んでこう激励した。

「あなたはすごい詞を書く。将来、詞で勝負するようなアーティストに育って欲しい。できれば大音量をバックにするよりも、ギター一本で歌った方が、あなたの詞が人々に伝わる」


そんな言葉の支えもあって「時代」は第6回「世界歌謡祭」で堂々のグランプリに輝き、中島みゆきが最後にギター一本でうたったのだ。

〈参照コラム・中島みゆきの「時代」が第6回「世界歌謡祭」で堂々のグランプリに輝いた日〉

12月にシングルが発売された「時代」は、そのときはそれほど大きなヒットになったわけではなかった。
しかし後年になって卒業式でうたわれたり、音楽の教科書に掲載されたり、他のシンガーにカヴァーされたりしたことで、広く親しまれるスタンダード・ソングになっていった。

新しいアーティストが成長して開花していくために、川上はその後もサポートを惜しまなかった。
それに応えて比類なきシンガー・ソングライターとなった中島みゆきは、自らのアルバムのスタッフクレジットに必ず「DAD 川上源一」という文字を記載している。

DAD は”父親”、あるいは敬意を込めて”師父”である。




(注1)(注2)の引用元は、川上源一著『子どもに学ぶ』(財団法人ヤマハ音楽振興会)です。

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