TAP the STORY
浅川マキ27歳〜新宿に惹かれた女、新宿が生んだアングラの女王
1969年、浅川マキは劇作家・寺山修司によってその才能と存在感を見出され、シングル「夜が明けたら/かもめ」で再デビューを果たす。 それは、彼女が27歳になった年…
TAP the STORY
1969年、浅川マキは劇作家・寺山修司によってその才能と存在感を見出され、シングル「夜が明けたら/かもめ」で再デビューを果たす。 それは、彼女が27歳になった年…
TAP the SONG
浅川マキが2010年に突然のように亡くなった後、音楽プロデューサーの寺本幸司はCDのライナーノーツでこう述べている。 蠍(さそり)座で、寺山修司構成演出で、浅川…
TAP the DAY
浅川マキが初のワンマン公演を行ったのは、1968年12月13日から15日までの3日間だった。 場所は「アンダーグラウンド蠍座」。 前衛芸術とカウンターカルチャー…
TAP the SONG
2002年にザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)の大ファンだったTHE ALFEEの坂崎幸之助を加えて、加藤和彦と北山修が新たなフォークルを結成したのはアル…
Extra便
シャンソン歌手の美輪明宏は1957年にデビュー・シングル「メケ・メケ」をヒットさせてスターになったものの、同性愛者であることを隠さなかったためにバッシングにあっ…
TAP the SONG
1967年の夏に演劇実験室・天井桟敷にやって来た17歳の少女は、ゴーゴーダンス大会で優勝したというだけあって、踊る姿は劇団員のなかでひときは目立つものだった。 …
Extra便
2015年10月24日、カルメン・マキがNHK-BSプレミアム「ザ・フォーク・ソング~青春のうた」に出演して、「戦争は知らない」と「時には母のない子のように」の…
TAP the NEWS
生前、浅川マキはステージでこの曲を歌う時に、こう呟いて唄いだすのだった。 「白人のリンチにあって、黒人が木に吊るされている。なんと奇妙な果実ではないか…」 19…
TAP the SONG
寺山修司が知人の音楽プロデューサーだった寺本幸司に誘われて、銀座にあったシャンソン喫茶『銀巴里』に出かけたのは、1968年の秋口のことである。 その頃の浅川マキ…
Extra便
劇団・天井桟敷が美輪明宏(当時は丸山明宏)を主演に迎えて1967年4月に上演した『青森県のせむし男』は、5月になってすぐに映画館「アートシアター新宿文化」でアン…
Extra便
1966年の春に東京大学を卒業した神田紘爾(かんだこうじ)は、日本勧業銀行(元・第一勧業銀行、現・みずほ銀行)に就職した。 それからしばらく時が流れて、学生時代…