1980年頃からイギリスを中心に広まった2トーン・ブーム。
2トーンとはレーベルの名称で、音楽とファッションの両面で一大ムーブメントを築いた。その原動力となったのがスペシャルズ、そしてマッドネスだ。
マッドネスの前身バンド、ノース・ロンドン・インヴェイダーズが、ロンドン北部のカムデンで結成されたのは、パンク・ムーブメント真っ只中の1977年頃。
スリー・コードさえ弾ければパンク・バンドが組める、という当時の風潮に漏れず、はじめは未熟で荒削りだったが、ライヴやメンバー・チェンジを繰り返しながら力をつけていく。
インヴェイダーズのレパートリーはカバーが中心で、ジャンルは多岐に渡った。この頃、一時的にベーシストとしてバンドに身を置き、のちにトランペットとしてマッドネスに加入することになる“チャス・スマッシュ”ことカサル・スミスは、当時の音楽性についてこのように振り返っている。
「俺たちはロキシー・ミュージックも好きだった。初期のロキシーさ。それとイアン・デューリーのバンド、キルバーン&ザ・ハイ・ローズもね。あとはアレックス・ハーヴェイ……キンクス……スカはこれらのほんの一部だったんだ」
あるとき、インヴェイダーズはライヴのレパートリーに「マッドネス」と「ワン・ステップ・ビヨンド」をレパートリーに加える。
1960年代にシンガー、ソングライター、プロデューサーなどマルチな才能を発揮してスカというジャンルの確立に多大な貢献をもたらした“キング・オブ・スカ”ことプリンス・バスターの楽曲だ。
彼らにとって、スカは好きな音楽の1つに過ぎなかったが、この2曲を演奏しているときは観客の反応がよく、明らかに他の曲より盛り上がっていた。そこに可能性を見出したインヴェイダーズは大きく舵を切り、スカで勝負に出るのだった。
1979年にはバンド名をマッドネスに改める。由来はもちろん、バンドの方向性を決定づけたプリンス・バスターの「マッドネス」からだ。
同名のバンドがいたというのが改名のきっかけだったが、これを機にバンドのイメージも一新され、彼らはイギリス紳士が愛用するポークパイハットを被るようになった。
そんな彼らが同じスカ・バンドのスペシャルズと出会ったのは3月18日のことだ。
この日、ボーカルの“サッグス”ことグラハム・マクファーソン、サックスのリー・トンプソン、そしてチャスの3人は、人種差別に反対する団体「ロック・アゲインスト・レイシズム」のイベントを観に来ていた。
そのイベントにトリとして出てきたのがスペシャルズだ。音楽の方向性が近かった彼らはイベント後に意気投合し、後日スペシャルズのジェリー・ダマーズが設立した2トーン・レコードからマッドネスのレコードを出すことが決まる。
1979年8月10日、マッドネスのデビュー・シングル「プリンス」がリリースされた。「プリンス」はその名の通り、プリンス・バスターへのリスペクトが込められた曲だ。
♪バスターが俺をぶっ倒す
デタラメな踊りで
俺は足元をすくわれちまう
頑張って走り続けちゃいるが
オレンジストリートには
辿り着けそうもない
国民的人気番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演した影響もあり、「プリンス」は全英チャート16位を記録する。2トーンとスカをイギリス全土に広めるのにも大きく貢献し、ここからマッドネスの快進撃は始まるのだった。
マッドネスにスカという道を指し示したプリンス・バスターが、78歳で亡くなったのは2016年9月8日のことだ。偉大なるスカのレジェンドの死に、サッグスはマッドネスを代表してこのようにコメントしている。
「彼の音楽には心の底から訴えてくるものがあった。俺たちがやってきたことのすべてに多大な影響を与えてくれたよ」
♪プリンス・バスターとサッグスによる「マッドネス」