1970年代のロックシーンを牽引したバンド、レッド・ツェッペリンのギタリストで、日本では三大ギタリストの一人としても知られているジミー・ペイジ。
彼がギターとはじめて出会ったのは1952年、8歳頃のこと。
その年にジミーは家族とともにサリー州のエプソン市へと引っ越したのだが、新しい家にはどういうわけかアコースティックのギターが置いてあった。ジミーにとってはまさに天啓ともいうべき幸運だった。
「前に住んでいた人達が置いていったものなのか、うちの家族の友達だったのか……誰も、どうやってギターがそこに現れたか知らないみたいなんだ」(『奇跡~ジミー・ペイジ自伝』より)
だがそれですぐに始めたというわけではなく、練習し始めたのは12歳になってからだったという。
そんなジミーがロックの世界に足を踏み入れたきっかけは、同じ時代を生きる多くの少年少女と同様にエルヴィス・プレスリーだった。とはいってもジミーの心を掴んだのはエルヴィスの歌よりも、その背後で鳴るギターの音だった。
「今となっては驚きなんだが、ギター・パートは非常に抑えられているのに、熱中していた僕としてはそれが大音響に聞こえたんだよ。それこそ、すぐそこにあるという感じで」
中でも「ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス」におけるギターは、ジミーが本気でギターに打ち込むきっかけとなった。
「あのレコードを聴いて、自分もこの一部になりたい、と思った。ここには何かあるぞ、とね」
「ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス」は、エルヴィスが1955年にリリースした4枚目のシングル。そしてエレクトリックギターを弾いているのはスコッティ・ムーア。エルヴィスとともにロックンロールの黄金時代を築いたギタリストとして知られている。
2人が出会ったのは1954年。まだデビュー前だったエルヴィスはサン・レコードを何度も訪ねては、社長のサム・フィリップスに自身を売り込んでいた。
そしてエルヴィスの歌に光るものを感じたサムが、自分のアイデアを形にするのを手伝ってくれるバンドがほしい、というエルヴィスの要望を受けて紹介したのが、スコッティ・ムーアだった。
当時21歳でエルヴィスより3歳年上だったスコッティは、兄の仕事を手伝いつつ、カントリー・バンドやセッション・ミュージシャンとしても活動し、サムとはこれからの新しい音楽について話し合う間柄だった。サムの中では、エルヴィスとスコッティが一緒になったらその新しい音楽が生まれるかもしれない、という期待があったのかもしれない。
スコッティの近所に住んでいたベーシストのビル・ブラックも加わると、彼らはリハーサルを繰り返しながら、エルヴィスのアイデアを形にしていく。
そうして最初にリリースされたシングル「ザッツ・オールライト」は、カントリーともブルースとも違う、騒々しくも聴くものを高揚させるエネルギーが宿っていた。スコッティはチェット・アトキンスの影響で習得したギャロップ奏法を使い、弾むようなグルーヴを生み出している。
2016年にスコッティ・ムーアが亡くなった際、ジミーはツイッターで「安らかに眠ってください、スコッティ・ムーア。真のエレキギターのアイコンへ」と追悼のメッセージを送っている。
Rest in Peace, Scotty Moore. A true icon of the electric guitar. https://t.co/mhey5Bw7AA pic.twitter.com/Jq3mFC0G7D
— Jimmy Page (@JimmyPage) 2016年6月29日
参考文献:
『奇跡~ジミー・ペイジ自伝』ブラッド・トリンスキー著/山下えりか訳(ロッキング・オン)
『エルヴィス』デイヴ・マーシュ著/五十嵐正訳(キネマ旬報社)
Elvis’ Golden Records
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