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キース・リチャーズが、ジミー・ペイジが敬愛したギタリスト、スコティ・ムーア

2024.06.26

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1950年代に青春を過ごした者たちは、誰もがエルヴィス・プレスリーに憧れたものだった。デビュー前のビートルズは、ジョンもポールもジョージも、リーゼントで革ジャン姿だった。だが、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズは違った。

「ハートブレイク・ホテル」を聴いた時、人生の目的がわかったのさ。とにかく、ああいうふうに弾きたい、それだけだった。誰もがエルヴィスになりたがっていたが、俺はスコティになりたかったのさ。


キース・リチャーズはスコティ・ムーアについて、そう語っている。

スコティ・ムーア。1931年の年の瀬に生まれた彼がサン・レコードでエルヴィスと出会ったのは、彼が21歳、エルヴィスが19歳の時だった。

サン・レコードに現れた時、エルヴィスはトラックの運転手だった。大好きな母親にプレゼントするために、歌を録音しにやって来たのである。

レコーディングを担当したのは、マリオン・カイザーだった。メンフィス生まれの彼女は、地元のラジオ局WRECで働いていたことがある。その時、アナウンサーだったのが、サン・レコードの創設者サム・フィリップスだった。

そう、彼女はラジオ局の仕事を辞め、サムが始めたレコード会社兼レコーディング・スタジオで、サムのアシスタントとして働いていたのである。

「黒人のように歌える白人はいないだろうか」


マリオンは、スタジオで歌うエルヴィスの歌声を聞いて、サムが言っていた言葉を思い出した。そして、すぐサムに報告したのである。

サム・フィリップスは、マリオンの報告を聞いてすぐ、スタジオに出入りしている何人かのミュージシャンに電話をかけた。サムの中ではもう、新しいサウンドが鳴っていた。スコティ・ムーアのギターとエルヴィスの歌声が出会った瞬間である。

スコティ・ムーアは、古くからの仲間、ベーシストのビル・ブラックを連れてきた。そして、セッションが始まった。エルヴィスのファースト・シングルとなった「ザッツ・オールライト・ママ」は、このセッションから生まれている。

こうして録音した曲は、翌日の7月7日に早くもラジオで流されている。メンフィスのWHBQのDJ,デューイー・フィリップスが自らの番組「レッド・ホット・ブルー・ショー」で紹介したのだ。

そしてエルヴィスの歌声は、スコティのギターは、メンフィス中に、アメリカ中に、世界中に、広がっていったのである。

ちなみに、レコードになったのは、セッションの第2テイクだった。最初のテイクでは、エルビスが「馬鹿みたいに」(スコティ談)飛び回り、まともに録音できなかったのである。





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