1973年にオーストラリアのシドニーで結成されたAC/DC。
アンガスとマルコムのヤング兄弟を中心とするこのバンドは、ストレートなロックンロールとハードロック的なサウンドを掛け合わせた音楽で、20世紀を代表するロックバンドの一つにまで上り詰めていった。
そんな彼らのライヴで目を引くのが、アンガス・ヤングのエネルギッシュなパフォーマンスだ。
中でも片足を上げながら進むダック・ウォークは、ロックンロールの創始者の一人として知られるチャック・ベリーが得意としていたパフォーマンスで、ロックンロールに対する敬意と愛が伝わってくる。
パフォーマンスのみならず、自身のギター・プレイについてもチャック・ベリーやフレディ・キング、マディ・ウォーターズといった50年代のレジェンドたちの名を挙げているアンガス・ヤング。
しかしロックンロールの原体験は意外にも彼らのようなギタリストではなく、ピアニストのリトル・リチャードだったという。
オーストラリア出身のバンドとして知られるAC/DCだが、ヤング兄弟の生まれはスコットランドのグラスゴーだ。
1955年に8人兄弟の末っ子として生まれたアンガスが、ロックンロールを聴き始めたのは6~7歳の頃だったという。
「幼い頃に聴いていたレコードのうちの一枚がリトル・リチャードの『キープ・ア・ノッキン』だったんだ」
「キープ・ア・ノッキン」は20世紀前半に書かれたアメリカのポピュラー・ソングで、一番古いものだと1928年に録音されている。
この歌をリトルリチャードはロックンロールにアレンジして1957年にリリースし、全米チャート8位を記録した。
冒頭のドラム、リトル・リチャードの代名詞ともいえるシャウト、そして激しく吹くサックスソロ、曲全体がエネルギーに満ち溢れたナンバーだ。
アンガスは「キープ・ア・ノッキン」に夢中になり、針を動かしてその曲の同じ箇所を何度も繰り返し聴いていたという。
その後はギタリストとしての道を進んでいったアンガスだが、彼がライヴで見せる爆発的なエネルギーは、リトル・リチャードの影響が大きいかもしれない。
さて、ロックンロールを聴くようになったアンガスだが、1963年に家族とともにオーストラリアへと引っ越すことになる。
この年、スコットランドは記録的な寒さと積雪に見舞われており、そこから逃れるための決断だった。
新たな土地での生活において不便だったのは、ブルースやロックンロールのレコードや情報を手に入れるのが、それまで以上に困難なことだった。
本屋などでその手の音楽を取り上げた雑誌は売っておらず、図書館に置いてあったジャズ雑誌が貴重な情報源だった。
「だから図書館に行って、マディ・ウォーターズやエルモア・ジェームスといった人物たちが、いったいどこでプレイしているのかを知ったんだ」
のちにロサンゼルスでバディ・ガイに会ったとき、アンガスは挨拶することすらできず、ただ立ち尽くしてしまったというが、それは図書館の書物でしか知らない人物だったからだという。
「俺にとってバディ・ガイに会うってのは、歴史上の人物に会うようなもんだったのさ」