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ロッド・スチュワートの「マギー・メイ」が日本で発売された日

2024.03.20

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1971年(昭和46年)9月15日、ロッド・スチュワートの「マギー・メイ」(日本フォノグラム)が日本で発売された。同年の邦楽ヒットソングといえば…

1位「わたしの城下町」/小柳ルミ子
2位「知床旅情」/加藤登紀子
3位「また逢う日まで」/尾崎紀世彦

1971年、日本では学生運動や安保闘争の火が燻っていた。NHK総合テレビが全番組カラー化を実施し、『仮面ライダー』の放映がスタート、第48代横綱・大鵬が引退表明し、マクドナルド日本第1号店が銀座にオープン、そしてアポロ14号の月着陸に世界中が湧いた年でもある。


「クリーブランドの熱心なDJが、レコードをひっくり返してB面だったこの曲をかけてくれなかったら、俺は今でも誰にも知られることのない歌手だったろう」


ロッド・スチュワートは60年代の初頭から、ロング・ジョン・ボルドリーのバンド「ザ・フーチー・クーチー・メン」をはじめ、「スティーム・パケット」「ショットガン・エクスプレス」と、様々なバンドを渡り歩きながら音楽キャリアを重ねていた。

どのバンドでも成功と言えるほどの結果には至っておらず…1967年に参加した「ジェフ・ベック・グループ」で、ようやく注目を集めるようになってきた。

──1969年、スモール・フェイセスのヴォーカリストだったスティーヴ・マリオットは、ピーター・フランプトンと共にハンブル・パイを結成するためにバンドを脱退する。

当時、バンドの存続に一番こだわったキーボーディストのイアン・マクレガンは、新しいスタイルとイメージを取り入れて「新たなバンドとして活動を続けていきたい」と、他のメンバー(ロニー・レーン、ケニー・ジョーンズ)に提案した。

そして3人で話し合った結果、名前を“フェイセズ”にして新たなステップを誓った。

彼らは、たとえ名前くらい変えたところで、3人での再スタートが容易ではないこともわかっていた。ちょうどその頃、ジェフ・ベック・グループを離れたロッド・スチュワートとロン・ウッドは、3人のフェイセズと友好関係を結び、練習場でセッションをしながら次第にバンドに参加するようになる。

ヴォーカル:ロッド・スチュワート
ギター:ロン・ウッド
ベース:ロニー・レーン(1973年以降、山内テツ)
ドラム:ケニー・ジョーンズ
キーボード:イアン・マクレガン

後に英国ロック史に残るスーパーバンドとなるフェイセズは、こうして結成されたのである。この結成と同時期、ロッドはソロ名義でのレコード契約も得た。

フェイセズとしてのデビューアルバム『First Step』(1970年3月)に先駆けて、『The Rod Stewart Album(ヨーロッパ盤のタイトル:An Old Raincoat Won’t Ever Let You Down)』(1969年11月)でソロデビューしている。

翌1970年には、ソロ名義での2ndアルバム『Gasoline Alley』を発表し、全英アルバムチャートで62位を記録するが、翌週にはトップ100圏外に消える。一方、アメリカのビルボードチャートでは27位に達し、自身初の全米トップ40アルバムとなった。

フェイセズでの活動も勢いに乗ってきた1971年5月、ロッドは3rdアルバム『Every Picture Tells a Story』を発表。

同年の8月、アルバムからのシングルカット曲として、ティム・ハーディンのカヴァー「Reason To Believe」(B面「Maggie May」)がリリースされる。

ある日、アメリカのクリーブランド(オハイオ州)のラジオ局のDJが、B面の「Maggie May」を気に入ってヘヴィーローテーションした結果、あっという間に反響が広がっていく。

「単にA面とB面を間違えたのかは、今となってはどうでもいいんだ(笑)。数週間もしないうちにアメリカでもイギリスでも各局のDJが同じことをしていて、レコード会社に対して、“Maggie MayをA面に刷り直すように!”と求めていたらしい」


作曲クレジットには、ロッドの共作者としてマーティン・クイッテントン(元スティームハマーのギタリスト)の名が並んでいる。ロッドが10代の頃に経験した失恋に基づいて書いた歌詞には、年上の女性との関係に葛藤する青年の心情が綴られていた。

「あれは俺が16歳の時だったかな…1961年のBeaulieu Jazz Festivalで出会った年上の女性のことを歌ったんだ。いわゆる俺の童貞喪失体験だね」


その勢いに乗って、発売元のマーキュリーレコードは、ロッドをテレビ番組『Top Of The Pops』出演させ、B面曲を歌わせるという異例の方向転換をした。見る見るうちに同シングルはチャートを上昇し、後に「Maggie May」はA面に差し替えられる。


発売から2ヶ月後、全英チャートで同シングルは1位に到達。この時点でアルバム『Every Picture Tells A Story』もイギリスとアメリカ両国で、ジョン・レノンやサイモン&ガーファンクルと競り合う形で、アルバムチャートの首位を獲得する。

この快挙によって“稀代のロックスター”ロッド・スチュワート(当時26歳)の黄金時代が遂に幕を開けることなる。当時、ロッドはこの曲が売れたことに対してあまり実感を持っていなかった。

「俺はあのシングルがどうしてここまで大きなヒットになったか分からない。十分な個性と見事なコードはあるけれど、あの曲にはメロディーがないんだ。当初はアルバムから外すことさえ考えていたんだから」


<引用元・参考文献『ロッド・スチュワート自伝』ロッド・スチュワート (著)中川泉 (翻訳)/ サンクチュアリ出版>


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