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イアン・マクレガンを偲んで〜スモールフェイセスからフェイセズへ

2024.12.02

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2014年12月3日、スモール・フェイセス及びフェイセズのメンバーとして知られるキーボードプレイヤーのイアン・マクレガンが天国へ旅立った。

亡くなる前日に脳卒中を起こし、この20年住んでいる米テキサス州オースティンで家族や友人に看取られる中、運ばれた病院で永眠したという。69歳だった。

セッション・ミュージシャンとしても活躍した彼は、これまでにローリング・ストーンズ、チャック・ベリー、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、ジャクソン・ブラウン、ジョー・コッカー、レニー・クラヴィッツ他多くのミュージシャンと共演してきた。

彼はフェイセズの再結成を望んでおり、「2015年にやれそうだ」と話していたばかりだったという。この訃報を受けて、ロッド・スチュワートは悲しみのコメントを寄せた。

僕は完全に打ちのめされている。イアン・マクレガンはフェイセズの真のスピリットを形づくった。昨晩、チャリティーのショーをやっていて、ミック・ハックネルが「I’d Rather Go Blind」を歌っているそのとき、ロン・ウッドからイアンが亡くなったって知らせをもらった。まるで彼のスピリットがそこにあったかのようだった。友よ、寂しくなるよ。


また、イアン・マクレガン、ボビー・キーズと続けて2人の友人を失ったロニー・ウッドは、「ボビーとマックに神のご加護を」と追悼の言葉を寄せた。

スモール・フェイセス、そしてフェイセズのドラマーだったケニー・ジョーンズも、「この衝撃の知らせに僕はひどくショックを受けている。ロッドとロンも同じだと思う」と、短いコメントを寄せた。

1969年も終わろうとしていた頃、ロッド・スチュワートとドラマーのケニー・ジョーンズは、ハイゲート(ロンドン中心部カムデン・ロンドン特別区‎にある地区)にある『ザ・スパニヤード』という居酒屋で、軽く一杯ひっかけていた。

ケニーはその夜もドラムの練習に出かけるつもりでいたのだが、酒を呑みながら、突然ロッドにFaces(フェイセズ)への加入を勧めはじめた。

実はロッドの方もバンドに勧誘されるのを待っていた。当時、ロッドは彼らの音も気に入っていたし、メンバーのことも心良く思っていた。それに、そのバンドに加入したばかりのロン・ウッドと親友でもあったのだ。

ロッドが喜んでケニーの申し出を受け入れると、二人は車を飛ばして他のメンバー達に会いに行き、他のみんなもロッドがヴォーカリストとして加入することに合意するかどうか聞いてみた。もちろんメンバー全員の答えは一つだった。

ヴォーカル:ロッド・スチュワート
ギター:ロン・ウッド
ベース:ロニー・レーン(1973年以降、山内テツ)
ドラム:ケニー・ジョーンズ
キーボード:イアン・マクレガン

後に、英国ロック史に残る“スーパーバンド”となるFaces(フェイセズ)は、こうして結成されたのである。

その日からさかのぼること4年。1965年のある夜の出来事だった。

ヴォーカリストのスティーヴ・マリオットは、ロンドン東部にあるマナー・パークの『J60』という、楽器も売っているミュージックバーで働いていて、そこにベーシストのロニー・レーンが父親と共にベースを買いに訪れた。

ロニーとスティーヴはそこで会話し、ベースを買ったロニーはスティーヴが仕事を終えた後、レコードを聴きに彼の家を訪れた。

そして、彼らは互いの音楽趣味に惹かれ合い、実に自然な流れで「バンドをやろう!」と約束しあった。数日後にはスティーヴ、ロニー、そしてドラマーのケニー・ジョーンズ、キーボーディストのジミー・ウィンストンを加えた4人で、Small Faces(スモール・フェイセス)が結成された。

メンバーが小柄(Small)だったことと、シーンの顔役という意味を込めた“Face”がバンド名の由来だった(※後に脱退するジミーだけが背が高かった)。

当時、モッズと呼ばれた若者達は夜中まで通りをうろつき、違法な薬物を隠し持ち、R&B、ソウル、スカ、ブルービートといったような音楽に熱中していた。そんな中、スモール・フェイセスは、まさにカーナビー・ストリートと“モッズの精神”を代表していた。

結成からほどなくしてスモール・フェイセスは、ドン・アーデンという男(マネージャー)にスカウトされ、契約を結ぶと、すぐに「What’Cha Gonna Do About It」をレコーディングし、プロモーションのためTVショーへの出演もするようになる。

そのシングルは一気にヒットチャートを駆けのぼり、彼らはThe Who(ザ・フー)に継ぐ、モッズ達の象徴的な存在となった。ちょうどその頃、キーボーディストのジミー・ウィンストンに代わって加入したのが、イアン・マクレガンだった。

イアンが入ることによって“人気バンド”として勢いを増した彼らは、さらに売り出すための戦略、“ポップグループ”という触れ込みで宣伝されていった。

♪「What’Cha Gonna Do About It」/スモール・フェイセス


♪「All or Nothing」/スモール・フェイセス

悪徳なマネージメントによる印税問題や、レーベル移籍問題、そして“フラワームーブメント”の影響よる迷走などが重なり、彼らにとって輝かしい季節はそう長くは続かなかった。

そして1969年、ヴォーカルのスティーヴが音楽的な方向性に疑問を抱き、ピーター・フランプトンと共にHumble Pie(ハンブル・パイ)を結成するため、スモール・フェイセスを脱退してしまう。

その当時、バンドの存続に一番こだわった男が、キーボーディストのイアン・マクレガンだったという。彼はスモール・フェイセスに新しい名前をつけて、新しいスタイルとイメージを取り入れて「新たなバンドとして活動を続けていきたい」と提案した。

だが残った3人だけでは、たとえ名前くらい変えたところで、再スタートは容易ではないこともわかっていた。メンバーで話し合った結果、名前はFaces(フェイセズ)と呼ぶことにした。

ヴォーカリストが抜けてしまったため、大手レコード会社はロニー・レーン、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガンの新しい動きに興味を示さなかった。それでも彼らは地道に練習を重ね、演奏にも熱を入れていった。

ちょうどその頃、ジェフ・ベック・グループと決別したロン・ウッドは3人のフェイセズと友好関係を結び、練習場でセッションをしながら、次第にバンドに参加するようになっていた。

ロンと同じタイミングでジェフ・ベック・グループを離れたロッド・スチュワートも、ロンとも強い絆で結ばれていたので、フェイセズの練習場に顔を見せるようになった。

ロッドは当時、練習場となっていた地下室へ通じる階段の最上段に座って、彼らの演奏をよく聴いていたという。そして、ロッドがその階段を駆け下りていって歌うまで、そう時間はかからなかった。

♪「Stay With Me」/フェイセズ

スモール・フェイセス『Small Faces +18〈デラックス・エディション〉(紙ジャケットCD)』

スモール・フェイセス
『Small Faces +18<デラックス・エディション>(紙ジャケットCD)』

(2012/ USMジャパン)


フェイセズ『Snakes and Ladders(紙ジャケットCD)』

フェイセズ
『Snakes and Ladders(紙ジャケットCD)』

(2010/ワーナーミュージック・ジャパン)



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執筆者
【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html

【公演スケジュール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12660299410.html

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