「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the NEWS

イアン・マクレガンを偲んで〜スモールフェイセスからフェイセズへ

2021.12.03

Pocket
LINEで送る

2014年12月3日、スモール・フェイセス及びフェイセズのメンバーとして知られるキーボードプレイヤーのイアン・マクレガンが天国へ旅立った。
亡くなる前日に脳卒中を起こし、この20年住んでいる米テキサス州オースティンで家族や友人に看取られる中、運ばれた病院で永眠したという。69歳だった。
セッションミュージシャンとしても活躍した彼は、これまでにザ・ローリング・ストーンズ、チャック・ベリー、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、ジャクソン・ブラウン、ジョー・コッカー、レニー・クラヴィッツ他多くのミュージシャンと共演してきた。
彼はフェイセズの再結成を望んでおり「2015年にやれそうだ」と話していたばかりだったという。
この訃報を受けてロッド・スチュワートは悲しみのコメントを寄せた。

僕は完全に打ちのめされている。イアン・マクレガンはフェイセズの真のスピリットを形づくった。昨晩、チャリティーのショーをやっていて、ミック・ハックネルが「I’d Rather Go Blind」を歌っているそのとき、ロン・ウッドからイアンが亡くなったって知らせをもらった。まるで彼のスピリットがそこにあったかのようだった。
友よ、寂しくなるよ。


また、イアン・マクレガン、ボビー・キーズと続けて2人の友人を失ったロニー・ウッドは「ボビーとマックに神のご加護を」と追悼の言葉を寄せた。

スモール・フェイセス、そしてフェイセズのドラマーだったケニー・ジョーンズも「この衝撃の知らせに僕はひどくショックを受けている。ロッドとロンも同じだと思う」と短いコメントを寄せた。


1969年も終わろうとしていた頃、ロッド・スチュワートとドラマーのケニー・ジョーンズは、ハイゲート(ロンドン中心部カムデン・ロンドン特別区‎にある地区)にある『ザ・スパニヤード』という居酒屋で軽く一杯ひっかけていた。
ケニーはその夜もドラムの練習に出かけるつもりでいたのだが、酒を呑みながら突然ロッドにFaces(フェイセズ)への加入を勧めはじめた。
実はロッドの方もバンドに勧誘されるのを待っていた気持ちがあった。
当時、ロッドは彼らの音も気に入っていたし、メンバーのことも心良く思っていた。
それに、そのバンドに加入したばかりのロン・ウッドと親友でもあったのだ。
ロッドが喜んでケニーの申し出を受け入れると、二人は車を飛ばして他のメンバー達に会いに行き、他のみんなもロッドがヴォーカリストとして加入することに合意するかどうか聞いてみた。
もちろんメンバー全員の答えは一つだった。

ヴォーカル:ロッド・スチュワート
ギター:ロン・ウッド
ベース:ロニー・レーン(1973年以降、山内テツ)
ドラム:ケニー・ジョーンズ
キーボード:イアン・マクレガン

後に、英国ロック史に残る“スーパーバンド”となるFaces(フェイセズ)は、こうして結成されたのである。


その日からさかのぼること4年…1965年のある夜の出来事だった。
ヴォーカリストのスティーヴ・マリオットはロンドン東部にあるマナー・パークの『J60』という楽器も売っているミュージックバーで働いていて、そこにベーシストのロニー・レーンが父親と共にベースを買いに訪れた。
ロニーとスティーヴはそこで会話し、ベースを買ったロニーはスティーヴが仕事を終えた後、レコードを聴きに彼の家を訪れた。
そして彼らは互いの音楽趣味に惹かれ合い、実に自然な流れで「バンドをやろう!」と約束しあった。
数日後にはスティーヴ、ロニー、そしてドラマーのケニー・ジョーンズ、キーボーディストのジミー・ウィンストンを加えた4人でSmall Faces(スモール・フェイセス)が結成された。
メンバーが小柄(Small)だったことと、シーンの顔役という意味を込めた“Face”がバンド名の由来だという。<※後に脱退するジミーだけが背が高かった>
当時、モッズと呼ばれた若者達は夜中まで通りをうろつき、違法な薬物を隠し持ち、レゲエ・ソウル・スカ・ブルービートといったような音楽に熱中していた。
そんな中、スモール・フェイセスはまさにカナビーストリートと“モッズの精神”を代表していた。


結成からほどなくしてスモール・フェイセスは、ドン・アーデンという男(マネージャー)にスカウトされ、契約を結ぶとすぐに「What’Cha Gonna Do About It」をレコーディングし、プロモーションのためTVショーへの出演もするようになる。
そのシングルは一気にヒットチャートを駆けのぼり、彼らはThe Who(ザ・フー)に継ぐモッズ達の象徴的な存在となった。
ちょうどその頃、キーボーディストのジミー・ウィンストンに代わって加入したのが、イアン・マクレガンだった。
イアンが入ることによって“人気バンド”として勢いを増した彼らは、さらに売り出すための戦略上“ポップグループ”という触れ込みで宣伝されていった。

♪「What’Cha Gonna Do About It」/スモール・フェイセス


♪「All or Nothing」/スモール・フェイセス

悪徳なマネージメントによる印税問題や、レーベル移籍問題、そして“フラワームーブメント”の影響よる迷走などが重なり…彼らにとって輝かしい季節はそう長くは続かなかった。
そして1969年、ヴォーカルのスティーヴが音楽的な方向性に疑問を抱き、ピーター・フランプトンと共にHumble Pie(ハンブル・パイ)を結成するためスモール・フェイセスを脱退してしまう。
その当時、バンドの存続に一番こだわった男が、キーボーディストのイアン・マクレガンだったという。
彼はスモール・フェイセスに新しい名前をつけて、新しいスタイルとイメージを取り入れて「新たなバンドとして活動を続けていきたい」と提案した。
だが残った3人だけでは、たとえ名前くらい変えたところで、再スタートは容易ではないこともわかっていた。
メンバーで話し合った結果、名前はFaces(フェイセズ)と呼ぶことにした。
ヴォーカリストが抜けてしまったため、大手レコード会社はロニー・レーン、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガンの新しい動きに興味を示さなかった。
それでも彼らは地道に練習を重ね、演奏にも熱を入れていった。
ちょうどその頃、ジェフ・ベックグループと決別したロン・ウッドは3人のフェイセズと友好関係を結び、練習場でセッションをしながら次第にバンドに参加するようになっていた。
ロンと同じタイミングでジェフ・ベックグループを離れたロッド・スチュワートも、ロンとも強い絆で結ばれていたので、フェイセズの練習場に顔を見せるようになった。
ロッドは当時、練習場となっていた地下室へ通じる階段の最上段に座って、彼らの演奏をよく聴いていたという。
そして…ロッドがその階段を駆け下りていって歌うまで、そう時間はかからなかった。

♪「Stay With Me」/フェイセズ

スモール・フェイセス『Small Faces +18〈デラックス・エディション〉(紙ジャケットCD)』

スモール・フェイセス
『Small Faces +18<デラックス・エディション>(紙ジャケットCD)』

(2012/ USMジャパン)


フェイセズ『Snakes and Ladders(紙ジャケットCD)』

フェイセズ
『Snakes and Ladders(紙ジャケットCD)』

(2010/ワーナーミュージック・ジャパン)


【佐々木モトアキ公演スケジュール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12660299410.html


【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the NEWS]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ