この歌はスピッツの11枚目のシングルとして1995年(平成7年)4月5日に発売された。
バンドにとって最大のヒットとなった代表曲だ。
歌詞の中に一度も登場することのない、この“ロビンソン”という言葉が曲名になった理由をご存知だろうか?
作詞作曲者の草野マサムネがタイを旅行した時に、街で“ロビンソン”という名前の百貨店に出くわしたという。
帰国後、曲作りをしていた際に何故かふとその名前を思い出し…まだタイトルも決まっていない書き上げたばかりの曲の呼び名にする。
曲の完成後も特に正式タイトルを考えることもなく、そのまま曲名となったというのだ。
スピッツはこの曲でブレイクするまで、売れない時代を過ごしている。
いったいどうしてこの「ロビンソン」は売れたのだろう?
彼らはデビュー当時“売れる”ことに対する憧れがあまりなかった。
自分たちの曲が売れる曲でないことはわかっていたものの…それを変えようとすることもなかったという。
しかし、ある時期から自分たちを支えてくれるスタッフに対して、結果を出せていないことを申し訳なく思うようになり“売れる”ことを意識するようになる。
そこでレコード会社の担当ディレクターと話し合いを重ね、当時ユニコーンやプリンセスプリンセスといった“売れているバンド”のプロデュースを手掛けていた笹路正徳にプロデュースを依頼する。
笹路といえば、音楽ジャンルにとらわれることなくアーティストの持つ魅力を最大限に引き出す才人として定評のあるプロデューサーだ。
スピッツにとって“一番売れた曲”となったこの歌も、笹路の存在なしでは誕生しなかったかもしれない。
笹路と出会う以前から、草野の書く歌詞はスピッツの大きな魅力とされていた。
この「ロビンソン」では草野の(少し難解なところもある)独自性を崩さないまま、リスナーを困惑させることのない世界観を成立させている。
笹路は、当時本人も気づいていなかったある個性に注目した。
「マサムネはハイトーンにいったときの声がいいんだから、それを使わない手はない!高いキーでもっと張って歌ったほうが聴き手に届くはず!」
しかし、当時の草野は自分の声がいいとはまったく思っておらず、むしろ嫌いなくらいだったという。
草野が高い声で歌うようになったのは笹路に言われてからで、それまでは高い声をそんなに出してはいなかった。
また、草野はこの歌を“いつものスピッツの地味な曲”と感じており、バンドの他のメンバーや笹路にもそう話していたという。
リリース当初、フジテレビ系列で放送されていた夕方のバラエティ番組のテーマ曲としてオンエアされたことを除けば、この楽曲のための表立ったプロモーション活動はほとんど行われなかった。
ところが、本人達やスタッフの予想を大きく裏切って!?この歌は1995年の初夏に大ヒットを記録したのだ。
草野はある回顧録の中でこんなことを語っている。
「なぜあの曲がこんなに売れたのか?と当時抱いていた疑問の答えはいまでもわからないんです。」
彼はこの歌を作る際に一切気負わずに作ったという。
気負わなかったことによって、この“ロビンソン”という歌詞の内容とは関係のない“不思議な響き”が誕生したのだろう。
気負わなかったことによって、歌声、演奏、楽曲すべてに“不思議な風”が吹き、彼らはその追い風に乗ったのだろう。
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